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2004.04.30

年金問題をみんなで議論しよう

以前から「ネットでの盛り上がりをどう具体化するか」という問題として考えていましたが、さすがに木村剛は一味違います。うまい「爆弾」を使って具体化に向かいはじめました。

まあ、ガバナンスを専門とする木村氏であるならば、現実をきちんと見る「会計」を重視するがごとく、年金のようなおおきな問題についても「定量的に」、「前提を明確にして」、シミュレートを行い、実効性をみつけていくという当たり前のことを実行しているだけなのでしょう。

さて、以前NHK特集に「ドキュメント太平洋戦争」という番組がありました。そのなかで、日本軍を称して「敵を知らず、己を知らず」というサブタイトルがありました。これはもちろん、孫子の兵法にある「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の逆です。年金(に限らず財政に関して)、日本政府はこの基本を無視して旧日本軍と同じようなことをしているのでは、という危惧を抱かざるを得ません(やたらに権威主義的なところまでそっくり)。

理由を考えてみると、政府(特に官僚の上層部)は、高度成長しか知らないため独自に戦略を立ててシミュレートを行い、目的に進んでいく、という経験が実はまったくないのではないか、という気がしています。

もうひとつの問題は、投票行動にあります。議員=選挙によって選ばれた人なのですが、逆に見ると「投票に行く人
=政策によって目に見える利益が期待できる人」が成り立つのです。つまり、今の規制や政策によって守られている人ほど投票に行くメリットがあり、彼らの意思の代表者が多く選ばれがちである、ということになってしまうのです。

逆説的ですが、小さな政府を志向して、政府に頼らない人が増えるほど、投票に行く人が減る可能性があるのです(マーケティング的に言えば、理念だけでは物は売れない、ということになります)。これが「人は自分達にあった政府しかもてない」ということなのでしょう。

政府を批判するだけでは天に唾するようなものになってしまいますので、ここは木村氏の試みを応援し、できることは実行し、社会を少しでも良い方向に向かうよう行動するしかないと思っています。

2004 04 30 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

2004.04.28

宮崎駿は熱血が嫌いか

最近固いネタが多いので少し趣向を変えます。
宮崎駿という、アカデミー賞監督がいます。この人の代表作のひとつが「風の谷のナウシカ」。これは、遠い未来での人々と自然とのかかわりを描いた、とされています。

また、同じ年(二人とも1941年生まれ)の生まれに富野由悠季という人もいます。代表作は、「機動戦士ガンダム」。他にも、ロボットもののアニメを多く監督しています。


(この先、「風の谷のナウシカ」、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し 」、「イデオン」、「戦闘メカ ザブングル」、「オーバーマン キングゲイナー」のネタばれを含みます。未見の人は避けてくださるようお願いします。

ネタばれあります。本当に良いですか?


これくらい空ければいいかな?


では、続き。

さて、富野氏といえばガンダムですが、他にも作品を作っています。ガンダムの直後に作られた「イデオン」。これは、やはり遠い未来の世界で無限の力にとらわれた人たちが自分の業を超えられず、振り回されてもがいていくさまを描いています。また、さらにその後に「戦闘メカ ザブングル」というTVアニメを監督します。ここでは、いちど環境汚染で地球を痛めつけてしまい、人々が住めなくなってしまった世界で、そこに住める人間を新たに作り出し、その人たちが元気に暮らしていくさまを描いています(本編ではこんなそぶりはありませんが)。

さて、後者の設定は実はナウシカとほぼ同じです。決定的に違うのは、ザブングルでは管理者(作中では「イノセント」と称される)が現役でコントロールしていること(ナウシカでは既に遺跡の中でしかない)、ザブングルでは主人公たちが世界のあり方なんて気にしないで元気に生きている(そして、希望も見える)のに対し、ナウシカでは、生きること自体を肯定してよいか迷っているような描き方をしています。

「皆殺しのトミノ」と「安心して見られるジブリのご本尊」と言われる二人ですが、奥底にあるものが実は正反対なのでは、という印象を持っているのです。

そして、両者のスタンスはナウシカの焼き直しと一部で言われる「もののけ姫」やアカデミー賞作品の「千と千尋の神隠し」と、富野カントクの最新芸能アニメ「キングゲイナー」を比べても明らかでしょう。

「キングゲイナー」では、エクソダス、すなわち脱出が描かれます。その先に本当に希望があるのかどうかはわかりませんが、少なくとも抑圧された状況を変えよう、ということを肯定的に描いています。
対して、「もののけ姫」では、女たちが生きるすべとして作ったたたら場が、自然を破壊し、また争いの原因となっていることを描いています。

現実を見る限り、無制限に欲望を発揮してよい状況には無いことは確かです。ただ、かといって希望を持っていくこと自体を否定されて生きていけるほど人間は高級な生き物ではないようにも感じます。

宮崎監督は「天空の城ラピュタ」で、「人は土から離れては生きていけない」といい、富野監督は「機動戦士Zガンダム」で、「地球の重力に魂を引かれた人たち」と言います。(どちらも1985年作品だったりする)

監督がそれぞれ本音を語っているかどうか、ということはここでは問題としません。ただ、宮崎監督の作品では、比較的冷めた眼で見ていることが多いのかな、という印象を持っています。

人はどうやって生きるのか、ということに関しては2つの間のバランスでしかないのでしょうから、両者をともに心に留めておくようにしたほうがよいのでしょう。

おまけ。竹宮恵子の漫画に「地球(テラ)ヘ…」という作品があります。これは、未来の世界で地球を守るため人類は絶対管理社会を引き、ほとんどの人たちは遠くの惑星に移住させられ、ふるさとである地球を思う、という背景があります。そして時折生まれる超能力を持つミュータント(作中では「ミュウ」)は迫害されています。
 そして、最後に実はミュウが生まれてくること自体が管理プログラムに入っており、地球の行く末をミュウか従来の人間の勝者に託す、という計画があったことが明かされます。
 さて、この漫画が映画化されました。作中では、ミュウは迫害されつつ、独自の社会を作り、ミュウ同士で結婚した子供ができるようにまでなっています。そして、映画の終り近くで、ミュウの子供たちは地球を思う親世代を地球に送り届けた後、自分たちは地球を離れ旅に出てしまうのです。
 地球を救う力を持つ新人類は誕生したのだが、逆に彼らに地球は捨てられる、というある種のどんでん返しがあったことが強く印象に残っています。

年金だ、税制だ、と色々やっていますが、実際に社会を担うのはその子供たちの世代なんですね。彼らに捨てられるような社会では仕方が無いので、ちゃんとわれわれの世代からがんばっていかないとまずいと思っています。

2004 04 28 [アニメ・コミック] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

2004.04.27

政治のカルテルは独禁法違反か?

今日の週刊!木村剛は、再び年金問題でした。今回は抜本改革といいつつも、肝心なシミュレートもなし、閣僚の不払い問題も民主党議員にも仲間がいそうなため突っ込みが甘い、と実に煮え切らない審議です。

 国会議員に国民年金の未加入(もしくは支払い漏れ)は、「相互扶助」という年金の基本骨格を議員事態が理解していない象徴だと思います(自分は金持っているから年金は関係ない、では無いのである)。少なくとも、国民に理解を求める「説明責任」はこれでは果たせないでしょう。

 また、木村氏流に言えば、政治家=経営者でなくてはならないと思います。決まったことを決められたように行うのは官僚(もしくは行政システム)ですが、決める(そしてこれには責任がともなう)ことが経営者たる政治家の仕事だと思います。ただ、国会議員という面から見ると、数が多すぎて「決断」を要する面が少なく、また鍛えられないためにkのような状況になってしまうかもしれません(だから、地方の首長に転ずる議員が出ているのかも)。

 今、「会計戦略の発想法」を読んでいます。そこでは、「会計」という現実を見つめる手段を使って理想を求める経営をどう戦略的に行うか、という考えを受けました。
 そして、カルロス・ゴーン日産CEOの「コミットメント」という言葉が繰り返し出てきます。本来、この言葉は政治家にこそふさわしいものでしょう。しかし、実際にはコミットメントどころか談合が相次いでいます。そして談合を監視すべき有権者もこのカルテルに組み込まれてしまっているのではないでしょうか。

 政策論に限りませんが、何かをなそうとし、それを人々に納得させるためには、「現実を明確に」し、「目標を定め」、「現状に沿った計画を作る」事が基本だと思いますし、これこそが「戦略」でしょう。しかし、現状の国会中継を見る限り、上記3点のどれも感じられません。

 まあ、憂えているだけでは評論家の仲間になってしまうだけなので、自分としては投票に行く、そして自分の身を守るために投資行動などを実行する、そして仲間内に少しでも考え方を伝えていく、ということしか今は出来ません。でも、何もしないよりはましでしょうから。
 

2004 04 27 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.04.26

Power to the peaple

以前、インターネットの次には何がくるのだろう、という記事を書きました。また、CNETにインターネット時代をリードできない「PC世代の限界」という記事が投稿されており、ここでもPC世代と言われている人たちがインターネット時代では付いていけないのでは、という方向性の記事がありました。

 さて、今のPCはスティーブ・ジョブズにしろ、ビル・ゲイツにしろ、ベトナム戦争当時に学生だったような世代でしょう(日本で言えば全共闘世代か?)。で、当時の合言葉として"Power to the peaple"というのがあったように思えます。で、PC自体がヒッピー文化などの影響も強く受けていることは間違いが無いと思います。
 さて、彼らが標榜した「Peaple」ですが、実際にはPCは"Power to a parson"になっていたと思います。すなわち、個人の力を強める方向であり、「人々」という総体の力を伸ばすようには出来ていませんでした。ネットワーク機能をいち早く標準としたAppleや、Notesを作ったLotusも、「生産性を上げる」という方向ではありましたが、「単につながっていたい」人々を結びつける力にはなっていないと思うのです。

 で、インターネットです。これはまさに"Power to the peaple"というものになっていると思います。その"Power"が必ずしもリアルな実態を動かすところにまではまだ届いていないようですが、「人と人とを結ぶ場」を提供し、そしてそれが力になっていく、というところでPCとは違う状況に向かっていると思っています。

本当に人々が力を得たとき、そしてそれが単純に反権力ではなく権力のあり方をも変えていくことができるかどうか、今後私もどう動いていくべきか、色々と考えているところです。

2004 04 26 [パソコン・インターネット] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.04.24

富裕層にマスマーケティングは通用するか?

団塊の世代と言われている人たちがいわゆる老年層に近づくにつれ、彼らが旺盛な消費力を持っているのでそれらを当てにした商売が進んでいる、というそうです。特に富裕層といわれる人たちの消費が旺盛だろうと。ただ、最近この手の記事を多く見るのは紋切り型のネタのように感じてしまうのです。

 まあ、全体としてみれば比較的余裕のある層が数多くいる、というのは確かでしょう。ただ、その中で富裕層というグループに対して単純なマスマーケティングが通用するのでしょうか。むしろ、いかに個別対応をきめ細かく行えるか、さらに言えば、会社対個人ではなく、個人対個人、という要素の方が大きくなるように思えます。会社であるならば、すべてのサービス提供者に対して相当高いレベルの能力が要求されるでしょう。

「戦略経営の発想法」.
によれば、ビジネスモデルは後知恵だそうです。となると、特に富裕層相手に豪華なものを出せば売れる、という十把一絡げの思想ではなく、あの客のために売る、というくらいの発想が無いと失敗するでしょう。よくある高級ホテルのサービスの伝説のように。


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2004.04.22

日本振興銀行とベンチャーキャピタル

日本振興銀行がいよいよ開業しました。現状では、5年定期1%で100万円以上、というのは残念ながら手が出せません。かげながら応援、ということしか出来ない事はご容赦いただきたいと思います。

 さて、以前にも書きましたが、この銀行は「中小新興企業の元気を応援する」事を主目的としています。となりますと、これはベンチャーキャピタルとどこが違うのだろう?という疑問が生じます。まあ、日本ではろくなベンチャーキャピタルがないから、ということがこの銀行の設立意義があるのでしょう。

 次に、ベンチャーキャピタルは一般的にIPOによる上場益を目的としていますが、日本振興銀行は「銀行」であるがゆえに、利息を取ることで長期にわたってすこしずつ投資を回収するのかな、というように取れます。

 従来型の銀行と顧客は、どちらかというと庄屋と小作人のような関係だったと思います。すなわち、「生かさぬよう、殺さぬよう」(生かす=利益が大きくなると借り手ではなくなるし、殺す=つぶれれば回収不能になる)という立場だったのかもしれません。日本振興銀行が、「生かして伸ばすことでどちらも利益が出る」というビジネスをうまく育てられるかどうか、無担保とは言え結構高い利息にこのような価値を顧客が認めるか、営業形態を見守っていこうと思っています。


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2004.04.20

活字になるWebって・・

今日の日経産業の27ページ。「あなたもネットでコラムニスト」という記事が出ていました。ここに、大きな写真でわれらがキムタケ氏が語っています。

 まあ、Nifryとしてはアクセスが稼げてかつ有料ユーザ(私もpro設定に変えてしまいました)が増えればよいな、ということでしょう。
 ただ、古株のnifty住人としてみると、こういう盛り上がりはうまく続けていくのがなかなか難しい、という状況を何度か見ていますので、暴走せずにじっくりと育っていってほしいものだと感じています(株価のようなものだな)。

 でも、「萌える」なんて言葉は知らなかったほうが良いような気もしないでもないんですよねぇ・・

2004 04 20 [ウェブログ・ココログ関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

科学離れと日本の将来

今日のニュースで、科学雑誌"Newton"の編集長である竹内 均博士が亡くなられた事をしりました。私は、高校生当時Newtonを創刊号から買っており、そのフルカラーで分かりやすい解説を楽しみに読んでいたものです。

 さて、当時は科学雑誌創刊ブームで、Newtonの他にも色々と出てきました。しかし、今は見る影もありません。先日、小学生(4,5年生)の116人を対象に調査したところ、4割が天動説を支持した、という報道がありました。まあ、シャーロックホームズも天文学はぜんぜんだめだった、という話もありますので一概に攻められない部分は」ありますがそれでも身の回りの現象を調べていこう、という志が落ちているのかな、という感じを持っています。

 今の小学生というと、物心付いた頃にはインターネットがあった、という世代になると思います(Windows95から見ても10年ですし)。となると、情報の入手という点では、苦労が無さ過ぎる、という問題がある可能性があります。

 もちろん、簡単な事を調べるだけで時間がかかって仕方が無い、ということがなくなるのは良いことだと思います。ただ、お手軽に適当な答え(しかも玉石混交)を引っ張ってこれる、というのは逆に正しい答えを導き出す力が付かないのではないか、という問題が生じます。

 今年は彗星の当たり年らしく、3つの彗星が見られる可能性があります。まあ、天文ファンとしては彗星がでかくなる、という話は禁句に近いものがありまして(マスコミでネタになるとはずれる、というジンクスが・・)、あまり大きくはいいません。ただ、10年前の百武彗星のように、見たことが自慢できるような体験ができることもままあります。こういう実体験に基づく感動をうまく伝えていければ、科学というものについても、興味を持ってくれる子供たちが増えていくのかな、と思っています。

2004 04 20 [科学、学問] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.04.19

ケータイの次にくるもの

20世紀100年を振り返ってみて、いろんな技術開発がありました。蒸気機関や電気は19世紀のものですが、その後個人レベルにも降りてくる色々なものがでてきました。異論を恐れずに言えば、20世紀後半のテレビ、自家用車、パソコン、そしてケータイとインターネット、という順序であっていると思います。

 さて、21世紀に入ってすでに4年目になるわけですが、ケータイの次はいったいなんだろう、と考えてみました。今はまだ開発段階で芽がでているかどうか、というものです。以前はバイオテクノロジーが考えられてきましたが、今ひとつ実用化が遅れています。このままでは、「あと30年で出来る」と50年前から言われている核融合と同じ道をたどる可能性すらあります(実際は、バイオテクノロジーは細かいところでは結構使われていますけどね)。

 では、何か、と考えてみて、有力な候補がありました。「ロボット」です。

 既に、工場などの産業用では既に沢山ロボットが入っている、という意見はあるでしょう。また、今の機械類はコンピュータチップが入っていないものの方が珍しいくらいですので、そういう意味では既に広義のロボットはそこらじゅうにある、と考えてよいのかもしれません。

 しかし、ここであえて「人型(またはそれに類するもの)ロボット」と考えてみると、人間が人間と接することと同じような要領で使うことが出来る機械、としてロボットは有効である可能性があると考えられています。

 既にペットロボットは実用化されており、インターフェースの研究としても「リアルドリームドラえもんプロジェクト」というのもあります。ヴァーチャルな画像(情報エージェントという発想)も含めると、「マイロボット」がブレークしていく社会がどうなるか、今から想像はしておいたほうが良いように思えます。

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2004.04.17

一億総オークション

東京都がヤフーと提携して、税金のかたとして差し押さえた物品をネットオークションで競売にかける、というニュースがでました。過去、このての競売はいくつかありましたが、ネットオークションを使うことでより確実(?)に現金化できる可能性があると思います。

で、このオークションはヤフーオークションに直接出品をするわけではなく、システム構築の協力を仰いで独自のオークションにする、というそうですがなんか無駄な気がします。あらかじめ一割をクレジットカードで保証金を積むことで入札できる、というのも事大主義、という感じですし。

そのまま「出品者:東京都」で、説明に「山下清のリトグラフ(本物)」とか出した方が話題になるし面白いと思うのですけどねぇ・・さらにいうと、各種の安価な品物の現金化や、逆オークション(各種購入物の入札)をオープンで行うことで、透明性を上げることと参加者の範囲を広げることもできると思うのですが・・

なんでも独自で行うところが今の「役所」のコスト意識のなさを表しているように思えます。

ま、独自でやるならば、逆に高級美術品専門オークションとして、出品者を募って手数料をかせぐくらいはして欲しいものです(インチキすれば古物商の許可取り消しとか、出品者自体を審査済みの人、とかのプレッシャーをかければ(これは都知事の認可事項)、「警視庁本物保証済み!」とかで面白い市場ができるように思うのですけどねぇ・・

ヤフオクでの偽物のはびこり方を見ると、本物を良心的に売ろうとする人を育てる場、というのがあっても良さそうなきがするのですが。
(ただ、審査料とかいって役人がまたでかい態度するようになるのが落ちだろうけど)

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2004.04.15

小便器の上のモニターは何を映し出すか

木村 剛氏からもコメントを頂きましたが、民営化なった東京メトロのMetro Spot Visionが話題になっております。西川氏の意見にもありますが、あれでは何にも使えないでしょう。それとも壮大な実験の一部なのでしょうか?

たとえば、今はモニターだけですが小便器にセンサーをつけて「糖尿気味ですね。○○病院へどうぞ」とか、「ダイエット食品はこれが一番」なんて広告を出すとか・・(本気にする人はいないよね)

モニター入れるなら、やはり素直に車両の中なのではないでしょうか?

他にも、本来の業務である「人を快適に輸送すること」にお金を使っていくべきでしょう。


今回、せっかく引用までされて紹介をしていただきましたが、残念なのは誤字(国家補償ではなく、国家”保証”なんだよなぁ)を気づかずにアップロードしてしまったこと。自分の恥をさらしてしまっており、恥じ入る次第です。

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2004.04.14

日本振興銀行の売り物は?

昨日、このブログで日本振興銀行の免許取得を祝うとともに銀行は何を売っているのか、ということを書きました。そこで、売っているのは時間である、との論を述べました。

 翻って、日本振興銀行の営業を見ると、年利15%で無担保融資を行う、との報道があります。金利自体の整合性は私には判断できませんが、逆に考えれば15%程度の利子を取るだけの相手をきちんと見分けることが出来るか、さらに言えば、それ以上の利益率(15%の金利を払ってかつ黒字化できるということ)をあげられるように持っていけるか、ということが重要な点になっていくのでしょう。
 加えて、これは「開発資金」なのか、「一時的な問題をしのぐための運転資金」なのか、どちらを重視するのかも営業戦略として重要だと思います。

 リクルートの営業は、単なる御用聞きではなく、「プチ・コンサルタント」である、との記事がありました。雑誌に広告を載せてもらうため、どういう広告を載せたら効果的か、というアドバイスを含んだ営業活動をおこなっている、というものです。

ところで、日本振興銀行のホームページを見ると、過去の経験や出身は問いません、とあって採用情報が載っていますが、詳細を見ると銀行や保険業務の経験がある人、とあるのはどうなんでしょ?

(経験の少ない投資家(ただし技術系)の目から見ると、いわゆるアナリストレポートの言うことは過去のことしかなくて、これからの見方や新技術の評価に関してはまるでなっていないように思えて仕方が無いのである)

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2004.04.13

銀行が売っているもの

木村 剛氏、箭内 昇氏といえば金融改革派としてしられており、以前からNikkei BizPlusのコラムを読んでいました。今日、久しぶりに箭内氏のコラムが掲載されており、りそな銀行が花王などの影響でより顧客志向の会社にかわりつつある事が伺われます。

さて、そんな中木村氏が設立に尽力した「日本振興銀行」の免許申請が許可された、との知らせが入ってきました。

さて、昨今「金融」が色々と話題になっています。銀行のサービス向上とか、消費者金融とか・・
で、考えたのですが、銀行って何を売っているところなのでしょう?ひとつは「決済サービス」だと思います。私もクレジットカードとか、銀行振り込みなどを使っており、そこで手数料を支払っています。
もうひとつが「融資」ですが、考えてみるとこれは変です。なぜ、100万円を103万円払って買うのでしょう?事業資金にするから?明日の支払いがあるから?

 思うに、銀行の売り物は「時間」ではないでしょうか。明日の100万円がないから、わざわざ今日手数料(利子)を使ってまで入手する。今金を使うことで、利子を払った以上のリターンがある事業を行う。そのための「時間」を買うために、利子を払って融資を受けているのではないでしょうか。

 この「時間」の要素を忘れてしまうと本来の融資の意味を見失ってしまうと思います。そして、売り物が何か、顧客が求めるものは何か、ということを日本振興銀行が忘れることの無いよう、今後の活躍を祈りたいと思います。

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2004.04.10

V601SHその後

2週間前、ここで新しくV601SHを買った、と書きました。tomoさんからもコメントをいただきましたが、まさになんでもありのてんこ盛りでした。

まだ、完全につかいこなすところまでは行ってませんが、先週花見をした際に写真を撮って見ました。200万画素+AF、というのは画像メモを超えた、まさに「カメラ」というレベルに達しています。もちろん、一眼レフのボケ味などには及びませんが、アングルやフレーミングに気をつければ、かなり撮れるな、と感じました。青空もほとんどノイズが出ないし。
 

あと、思ったよりも広角に振っている、というのが意外な感覚です。デジカメというと、あまり広角側に振れない、というイメージでしたが、感覚として35mm位かな、と思いました。ケータイのカメラ機能については、カタログレビューでも画素数やモード(夜景やら、エフェクトとか)の説明はあるのですが、画角については言及が無いんですよね。ですので、フレーミングをした際、近寄ることが多かったのは意外でした。

しかし、このスペックが普通にケータイに載ってくると、安いデジカメの立場がなくなってきますね。機能として不満なのは、ストロボが無いこと(モバイルライトはあるけど)、書き込み速度が遅いこと位になっていますから。

シャープがザウルスをLinux+VGAモデルを中心に出している、というのは正解かもしれません。QVGA+ポケットPCでは、日本市場でケータイに勝てない、というのは作っているメーカー自体が一番良くわかっているでしょうし、ユーザとしてみても、いまさらQVGAのPDAを買おうという気は出てきませんし。
 スケジューラとしては、私の業務上あまり外回りはありませんのでもっぱらPCのLotus Organizerとシステム手帳で間に合うかな、という感じです。ただ、そのシステム手帳とケータイを同時に持ち運べるシステム手帳を買いましたので、入力をうまくしていけばタイマーとしてリマインダになるな、と思っています。

2004 04 10 [携帯・デジカメ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.04.09

官営はプロジェクトチームであるべき

 歴史的に見て、「官営」というのは明治期に出来た新しい概念だと思います。そもそも、業は民営の方が当たり前でしょうし。そして、明治期、そして第二次大戦後の混乱期のようなキャッチアップ時期に、「官営」として強制的に税金を集めて(資本金を市場から集める代わりに)、業を起こし、社会に貢献する。そういうシステムだったと思っています。
 そして今、既にインフラとして成立してしまっているものを続ける手段として「官営」が生き残ってしまっています。キャッチアップとしての手段が、「システムを生かすこと(正確には、システムで生活している人間を生かすこと)」が目的となってしまっているのでしょう。
 

 さて、「官営」に期待されているのは、「国家保証による安定をベースにしたチャレンジングなプロジェクト」であるはずです。それが、いつのまにか「安定しているところにいる人間を生かすための既得権」に化けてしまっており、このことが各種特殊法人として税金の無駄遣いにつながっているのではないでしょうか。

 であるならば、プロジェクトの原則(ターゲットの明確化、終了時期の明確化、終了後の手段)にのっとり、終わったプロジェクトのチームは解散をして、組織が必要ならば「民営化」をして残せばよい、ということになります。

 「公務員の身分保証」というのは、リスクを取れることの代償、というのは甘いかんがえなのでしょうか。

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2004.04.08

政治とBlog

以前から、衆議院議員の河野太郎氏のページをウォッチしていました。そもそもは、遺伝子組み換え食品に関することが発端です(これは仕事の上)。

 ただ、最近は河野氏が議員としての経験を積んできて少しずつ変わっている様子や、政治活動の実態が良くわかる、という面から続けて面白く見ています。ページのつくりも凝っているし。

また、このココログでは、自民党の安倍幹事長のブランチページなるものまであります(こちらは写真とコメントだけなので、だからどうした、ということになりかねませんが)。

以前も書きましたが(3月21日「ネット力とリアルパワー」)、こうしてネットに繋がって意見が出来、かつ広がりを見せることで政治的にも一見力をつけていけるように見えます。ただ、実際には加藤の乱でも見られるように、ネット力というのは匿名性や気軽に書き込める分、生身で対峙した際にはまだ力が足らないように思えます。

ただ、当時と違うのはブロードバンドが当たり前に近づき、ネット社会が普通の社会の一部として「コミュニケーションの場」となり、多数の人間が意見の形成ができるようになってくるとまた違う意味がしょうじてくるのかな、と思います。

逆に、過去のレガシーな政治から見て制御できなくなる分、ネットが選挙期間中は更新停止になるという今の法規制は変えられないのかもしれません。

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2004.04.07

アフィリエイトと記事紹介

・・・広告ネタで引っ張ってきたとなると今度はアフィリエイトですか、木村さん。

以前、私はNifttyでは書評系のフォーラムで結構アクティブに動いていました。以前、ここで書いた銀河通信のモデレータ、というのも書評のコーナーだったりします。当時、読んだ本についてコメントを書いたり紹介をしていたりもしました。

そこでの評価がどれほどのものだったかは、なんともいえません。コメントは多少はついたりしましたし、議論になったこともあります。内容をきっかけにして手に取ってもらったこともあるでしょう。

ただ、口コミにおける信頼度、というのはその人の記事の内容もさることながら「中立の立場でコメントしている」というのもあるのではないかなぁ、とも思ったりします。単に記事の内容が面白くて引かれてクリック、というのでは、実は凄く安価に使われるライターの一人になっているのでは?という気もするんですよねぇ・・

もちろん、個人で自由に書いている以上、たとえば何かの本がZ級のくだらなさ、とけなしまくったって、それは自由なわけです。その辺が、アフィリエイトにはまるがゆえに自由度を失っては仕方が無いなあ、という気はしています。
これも、うまくやれば個人版の暮らしの手帳、になるわけですが(で、この掲示板が売り物のひとつだったりするのがkakaku.comなんだな)。

「広告」を含めた情報が世の中氾濫しており、「事象の裏を取る(複数のニュースソースを見て判断する)」というのは、情報リテラシーの基本だと思っています。この情報リテラシーを身に着けるための教材、としては広告はとても良いサンプルになると思いますが、どんなものでしょう?

では最後に本の紹介(このフレーズ使うのも久しぶり(^^;)
「写真のワナ―ビジュアル・イメージの読み方」 新藤 健一 (著)
湾岸戦争当時の原油に濡れた海鳥の写真などを題材に、どういう意図でどのような写真が撮られるか、また過去の「報道」においてどのような写真が「作られていったか」をわかりやすく説明している。やや古めだが、基本が押さえられており、お勧め。

この人、同じ趣旨で一昨年新しい本も出していたんだな・・・今度読んでみよう。

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2004.04.05

経営は自立ではなかったか?

本日のゴーログで紹介されていたTV東京の番組を見ました。もちろん、ここで紹介されているのは「成功例」であるため、すごく良く見えるのは当たり前ですね。過去の報道などでも既に紹介されている事例ですし。ただ、こうしてみると「旦那仕事」はもう通用しないんだな、ということがはっきりしたと見ていいと思います。

ここでいう「旦那仕事」は、実務を番頭に任せているトップ、という意味で使っています。要は、「自分の事は自分で決めよう」ということですね。逆に言えば、「決められるだけの能力(知識だったり決断力だったり)」と持たないでトップ(決断をする人)になってはいかん、ということでしょう。

で、ふと思ったのは「アンパンマン」のことです。アンパンマンっていうのは、頭がバイキンマンに汚染されると頭を取り替えるんですよね。普通は頭を残して胴体を代えるのだけど、ジャムおじさんが焼いた新しい頭に交換します。

日本のトップを代えるジャムおじさんに私達国民はなれるのでしょうか?頭が汚染された、と思ったときに。

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2004.04.04

佐倉(と成田)で花見

昨日、穏やかな晴天に誘われて佐倉市の城址公園に花見に行った。ここには国立(いまは独立行政法人か?)の歴史民俗博物館(通称暦博)があり、以前から何度も行っているところである。

以前行った経験上、駐車場が気になるので早めに出て、10時過ぎに現地着。早めについたのが功を奏し、通常の駐車場に停めることができた。

花見の前に、博物館で企画展を見る。今は、いわゆる任侠物の主人公たち(国定忠治とか清水の次郎長とか)をテーマにしている。もちろん、歴史の博物館の企画展だから、史料をきちんと集め、当時の民衆文化を掘り下げる形になっている。国宝の「史記」(宋代のもの)などがあり、なかなか見ごたえがあった。

さて、お昼前になってきたので花見に向かった。博物館の隣からずっと桜並木が続いており、城址公園の広場には屋台とうもありなかなかの雰囲気である。場所柄からか、日中のせいかわからないが家族連れや高年者の友人同士のグループが多く比較的落ち着いた感じの花見が楽しめた。風もなく、温かい日差しの中で桜の木の下でのんびりと時を過ごすことができた。
本丸広場では陸自の高射部隊の音楽隊による演奏があったらしいのだが、それは聞かずにいた。

比較的早めに来て、少し時間があったので場所を変えることにする。今度は、成田にある千葉県立房総のむらである。・

ここは、千葉県が設立した博物館のひとつで、古墳群がある丘に江戸時代の街並や農家を再現し、当時の習俗等を体験できる、という場所である。余談だが、以前はこの手の千葉県立博物館はすべて入場無料だったのだがこの4月から入場料300円を取られるようになってしまった。財政難は相当らしい。

ここにも、桜並木がたくさんあり満開であった。また、農家を再現した場所にある畑では、菜の花が植わっておりこちらも満開であった。

今年はこの辺は桜はこれで終わりであろう。久々にじっくりと桜を楽しむことが出来た。


2004 04 04 [旅行・地域] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.04.02

情報公開ってなに?

先日、総務省のホームページで政党別の政治資金報告書の詳細が公開され始めた。で、「印刷不能」とあるが、「ネットで印刷方法が暴露されて想定外の事態」なる報道が流れている。

私もこの公開ページに行ってみたが、Windowsの標準機能であっさり印刷可能な状態にまで持っていけた。

そもそも、こういう形での中途半端な公開にどんな意味があるのだろう?極端な話、ネットで画面公開されれば、それをデジカメで撮影して印刷、ということだってそんなに難しい話ではない。ワンボタンでできなくするだけというのは実に姑息である。

スラッシュドットジャパンでは、この点について色々と話が進んでいるが、姑息な手段は公開する以上は取るべきではないだろう。


2004 04 02 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

回転ドアと鳥インフルエンザ

先日、京都で感染がみつかった鳥インフルエンザだが、社長が逮捕されるに至った。浅田農産の会長が自殺するなど、大変不幸な事件である。そして、社長のコメントとして「怖くて電話できなかった」というものが報道されている。

今回、客観的に見れば被害拡大を防ぐために感染を報告しなかった浅田農産に一定の非があることは認めざるを得ない。しかし、もし主体者として考えた場合、どうすべきだったのだろう?

今回の問題を整理すると、

1:鳥インフルエンザの感染自体は不可抗力に近く、感染が起きたこと自体は責められない。
2:通報をした場合、今ある鳥や卵は出荷不能になり、倒産に追い込まれる可能性が高い。
3:通報をせず、ほとぼりがさめた場合、何事もなかった状態に持ってこれる。
4:通報をして、なおかつ被害を最小限にとどめるためには、被害者であることを強調して支援を要請するしかないが、現状では経済的損失をカバーする方策は行政にはない。

要するに、業者には通報することによるインセンティブが少ないのである。

社会的な防疫体制として考えるならば、単純に業者の良心に頼るまたは罰則で締め付ける、では実効性は上がらないだろう。通報されなかったことによる社会的コストを考えて防疫体制を整えるのならば、
「通報した場合はちゃんと補償します」「その代わり、通報を怠ったら罰せられます」という方策が自然なのではないだろうか?

企業の危機管理としては、通報した上で被害者であることを最大限強調して補償なりを引き出す、というのが最善策だが、現状では「生き残れる」可能性は五分五分以下であろう。

さて、翻って回転ドアの事件である。こちらは人災の可能性が強くなってきたようだ。設計、組み付け、運用すべてにおいて事故防止を最大限に考えたとは思えない状況である。

さらに、多数の類似事件がおきていることも報道されている。これらは、メーカーレベルではある程度情報があったものと思われる。ただ、クライアントの要望を押し切れたかどうかはなんともいえない。

事象の重大性をどう考えるか、想像力を問われる状況が多くなっているといえよう。

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