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2004.05.30

今週のニュース(5/24~5/30)

今週気になったニュースを取り上げていきます。
1.ソフトバンク、日本テレコムを買収
 Yahoo!BBで知られるソフトバンクが、固定通信(旧JR系)の日本テレコムを買収することで合意しました。日本テレコムは、かつては携帯電話としてJ-Phone(現ボーダフォンが買収)が傘下にありましたが、切り離しが行われたため現在では固定通信網だけになっていました。となると、このままではじり貧ということで、逆に日本テレコムを所有するリップルウッドに対してYahoo!BBを買収してほしい、との要望もでていたようです。最初の導入期や、最近の情報漏れなどいろいろと話題の多いYahoo!BBですが、これで「普通」の会社になるのかな、ということも期待したいと思います。

2.還流CD問題、国会審議開始
 今、CD店の店頭には、海外版の日本の歌手のCDが安価に売られています。これは、現地の購買価格に合わせた価格設定がされているため、日本に持ってきても通常の日本国内価格よりも安くできる、ということからです。これに対して、対抗措置(?)として著作権法を改正し、業者に「輸入権」の設定を認めることになるようです。法律を作る側は、問題ないということを表明していますが、通常の店で平行輸入品が売られなくなるのではないか、という危惧がぬぐいさられてはいないようです。
 年金の時のように、後から説明不足の部分が出てくることのないようにしてほしいものです。

3.Zガンダム映画化
 公式ページにはまだなんの内容もありませんが、その他の情報では、再編集による3部作化、だそうです。
 今月のガンダムエースでの富野監督のインタビューを読む限り、大筋は同じでも内容(特にラスト)は大きく変わるようで。まあ、Zからもすでに20年(!)経っていますので、当時のしがらみ等はすでになくなっているでしょう。SEEDの後だけに、富野監督からの返事、という見方も出来るかもしれません。いろいろな情報はこちらにまとまっているので、ご参照を。


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2004.05.29

日本語ブームとその裏にあるもの

最近、「日本語ブーム」だそうです。今朝のNHKニュースで、「懐かしい日本の言葉ミニ辞典」という本の著者の紹介と、編集意図、そして昔からある言葉を使った小学校での授業を紹介していました。私はまだこの種の本を読んだことがないため評価は出来ないのですが、店頭で多く接することがあるな、と印象は持っていました。

多くの言葉が日常の生活で使われなくなり、「死語」と化しつつあるのは私も感じていました。番組で紹介していたのも、「こしらえる」といった本来は日常語であるものや、「おそれいります」などの挨拶語の減少が激しい、とのことでした。

聞いていると、「ビジネス語」としてはこれらの挨拶語はまだ生き残っていると思います。逆に言えば、営業現場とか、オフィス内での「上下関係が明確な場」でないと敬語表現に近いこれらの挨拶語が使われなくなっているのではないか、と感じました。

となると、これらの挨拶語が減っているのは日本の社会構造がかつての上下関係を意識しながら営まれていた(だからこそ言葉で明確にする必要があった)部分が減り、個対個が平等である、という前提の下で競争が行われている、ということをあらわしているのかな、とも感じます。さらには、かつての女性語の減少もそうでしょう。

これらの言葉は、「使いこなす」には結構訓練が必要です。ですので、比較的易きに流れる傾向がある現在、日常でどんどん使われなくなっているのはある意味必然と思います。言葉の修正をする社会的な圧力も働きにくくなっていますし。ただ、マイ・フェア・レディのように、言葉で社会的出自などまでわかってしまう、という要素もあるでしょうし、今のうちにとりもどそう、としているのはよいことなのかな、と思います。

他にも、「これらの言葉が使われていた時代」への思い入れや、さらには「かつてはこんな言葉を使えるくらいのんびりしていた」、「こういう言葉で年配者は尊敬されていた」という面すらあるのでは、という感覚も抱いています。

しかし、言葉の貧困さを表現するために意図的にやったかどうかわかりませんが、この本の紹介をするのに女性アナウンサーが「ニュアンスがうまく伝わりますね」と言ったのは、演出なのか、実際にこうしか言えない貧困さを明確にしたのかどっちなんだろう、と考えさせられてしまいました。

(蛇足:NHKが報道したらそのブームは終わっている、という説があるようですが、これに即すと言葉はすでに死んでいる、ということを明確にしたニュースなのかもしれません)。


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2004.05.27

ちと風邪気味

ここ4,5日少しのどが腫れており痛みがあります。季節の変わり目はいつものことなのですが、やはりちと辛いですな。

庭の小さな菜園も、トウモロコシやらエンドウ豆やらの芽が出ており、春から夏への移り変わりを感じます。先週までは寒さも感じるときもあったのですが、完全に切り替わりましたね。

あとは、もう少し夕方がすっきりと晴れれば彗星を見に行くのだが・・
(不調なので今日はこれだけ)

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2004.05.26

報道の存在意義はなにか

かつて、日銀の発表や政府報道において、資料配布時の順番を取ることが重要だったことがある、と聞いたことがあります。しかし、今はWebでの同時報道が普通になり、資料配布自体を争うことはなくなりました。同様に、企業からの発表も、「資料が配られる」ような文書に関しては、わざわざ会見場に行く必要はない、というのが現実でしょう。

では、記者会見が開かれるのはなぜか。一つは、不祥事などで「頭を下げる絵がほしい」というマスコミの要請があると思います。企業側としても、一般市民に対しては、まず頭を下げておくことで反感を和らげる、という効果が計算されているのでしょう。

ただ、この様な情景は、ショーであり情感に訴えるものであると思います。政治においては、数字だけがすべてではなく、情感に訴えることで自分の主張を通すという技術はありですので、一概に否定はできません。ただ、現状を見ると情動部分が大きすぎるのではないか、と感も否めないのです。

特に、TV取材が優先されている現在、じっくり時間をかけて内容のある話を聞く、という状況ではないでしょう(話したとしても、切り刻まれるし)。ワン・フレーズポリティクス、というのはTVのヘッドラインに載る範囲で人を説得しようとする技術とも取れますが、危険であることは論を待ちません。

メディアの種類による適性がいろいろあるでしょう。特に、調査報道や分析記事はTVではなく新聞のような活字メディアの方が向いているというのは以前から言われていることです。そして、単に右から左へ情報を流すだけの報道というのは意味がなくなりつつあると思います。

では、どんな付加価値をつけて売るのか。一つは「編集」でしょう。自分でWebをさまようよりは、きちんと編集されたサイトの方が読みやすく出来ています。
もう一つは「分析」ですね。生データだけでなく、ここからどのような情報が導き出されるか。ここでは、各報道体ごとの癖(バイアス)が出ますが、これは個性と思っています(中立のふりをするくらいならいっそ・・)
最後が、「取材」ですね。これは、自ら情報を作り出す行為になります。ドキュメンタリーとか、調査報道、と言われるのがここでしょう。

で、ブログが世間に容認されるメディアになるかどうか。これは、結構難しいかもしれません。というのも、単にブログといってもいろんな内容があふれているわけです。また、自分の意見を言うことに慣れていない人が多いというのも信頼度を下げる原因になるでしょう。

ただ、上記は慣れの問題という見方も出来ます。意見を交換する場としてレベルが上がって行き、参考にして実行動に移れるようになれば、新しい個人に与えられたメディアとして力を発揮するでしょう。でも、単にこき下ろしたりするような記事ばかりだと読むほうにすれば「時間の無駄」になってしまいますし。

相互交流は結構難しいのですが、突破していった先の発展を期待したいと思っています。

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2004.05.24

日本振興銀行、預金100億突破

週刊!木村剛によれば、日本振興銀行の預金が100億を突破したそうです。中小企業向けファンドと思えば、結構よい運用ベースと言えるのではないでしょうか。

さて、ここでファンド(投資信託)を例にとったのは、実は単に事業資金を貸す、というよりは、業務内容を精査して資金を貸し付けることでリターンを取っていく、ということから実質投資信託の投資行動に近いのではないか、と思ったためです。


もちろん、株式を取得するわけではありませんから、経営権うんぬん、ということはないでしょう。ただ、コンサルティング的な業務はあるでしょうし、取引が進むほど融資先にとって日本振興銀行の重要度が上がってくるのかな、と思います。

これを進めていくと、預金者に取っては間接的に一定の範囲の非上場企業に投資している(ただし元本は保護)というのと同じになるのかな、と思います。預金保険機構によって元本が保護されているため、リスクを取っているとは行きませんが、IPOはまだ出来ないが将来有望な企業を選んで投資が出来る、という点では日本振興銀行の目利きが正しい限り面白いルートが出来たな、と思っています。

もう一つ進めていくと、日本振興銀行自体が市場となって(「日本新興市場」?)、顧客の増資を内部で、預金者に対する選択肢として出す、ということもありなのかな、とも夢想しています。実現するための種々の関門は知識がないため素人の戯言なのですが、融資先の財務状況や、技術力を把握していている銀行がバックにいるのだから、ということがよい信頼度につながれば、新しい市場が創造できるのかもしれません。

ま、まずは順調な出発を祝いたいと思っています。

2004 05 24 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.23

今週のニュース(5/17~5/23)

では、今週のニュースアウトラインです。

1.小泉首相訪朝
  拉致被害者の方々の心痛は私ごときが及ぶことではありません。基本的には、人々の交流がもっと自由になればよいのですが、国家間の関係はなかなか難しいところがあります。特に犯罪行為によって連れ去られた人々にとっては、感情的な部分がありますので簡単にはいかないでしょう。

2.ブッシュアメリカ大統領、マウンテンバイクで転倒
いつぞやのプレッツェル事件もそうだったが、いろいろと話題を振りまいてくれる大統領でしたね(まだ終わってないって?)。


3.カンヌ映画祭、「イノセンス」は落選
  今年のカンヌ映画祭は、最高賞である「パルムドール」をマイケル・ムーア監督による「華氏911」に授与しました。この映画、配給権を持つミラマックス(の親会社のディズニー)が、米国内での配給を中止したりして話題を呼んでいます。フロリダでの税優遇措置(フロリダ州知事はブッシュ大統領の弟)を失いたくないのでは、との憶測も出ているくらいで、今年もムーア監督ネタは健在でしょう。今回、審査委員長がオタク大王たるクェンティン・タランティーノ監督だったため、もし「イノセンス」が受賞して押井守監督の特集、なんてことになったら、「うる星やつら」とか、「パトレイバー」のような作品までもてはやされたりするのかな、などと思っていましたが、さすがにそこまでは行かなかったようです。

4.広島カープ4連敗で最下位
 こいのぼりの季節が終わるとやっぱりだめんですかねぇ・・まだセリーグは団子状態なので希望は捨てたくないですが(今日は勝った!)


5.ゴルバチョフ元大統領政界引退
旧ソ連のいかにもエリート、というタイプの人だったと思います。今年で73歳、まだお元気なうちに回想録をしっかり残しておいてほしいものです。


2004 05 23 [ニュース] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.22

観光資源と生かし方

日本各地に、かつて繁栄した観光地がたくさんあります。私が今住んでいる銚子も、その一つでしょう。もちろん、今でもそれなりの観光客がおとずれてはいますが、知名度ほどの賑わいはないのかな、と15年前から住み始めた外来者としては見ています。

 行政なども、何も手を打っていないわけではありませんが、よそ者の目で見るとまだ「客の視点で見ていない」ように思えます。たとえば、銚子に訪れる客であれば、たとえばおいしい魚が安く買えるのでは、と期待するでしょうが実は銚子にはよくある「朝市」はありません。これは、大規模漁業が昔から発達していたため、かえって地元での小売はあまり発達しなかった、という歴史的な事情があります。ただ、だからといってこれからもしない、のではなく新しく始めることで新規の客を増やせるのではないか、と思うのですね(那珂湊はこれで成功しています。高速道路が来ている、というメリットをうまく生かして)。

料理店もそうでしょう。おいしい店も何軒かありますが、結構案内が難しいのです。外部からの客を引き寄せる、ということに対しての意識がまだ低いように感じます。

まあ、これは客の側の「旅の恥はかき捨て」の裏返しとして「一見の観光客からはできる限りむしる」という体質が日本の古い観光地のあちこちに残っている状況かもしれません。旅館が素泊まりができず、必ず一泊二食つき、というのもその表れでしょう。

以前は、旅行ということ自体が金持ちの行為であり、かつリピーターという存在は無きに等しく、そして評判の伝わりも遅かったため、こんなことをしてもなりたっていたのかもしれません。しかし、21世紀の今、「旅行は普遍化し、よそのよいサービスを経験した客が増えている」、「気に入ったところには何度も行くリピーターという存在は無視できない」、「ガイドブックなどの情報や、ネットでの口コミ情報も早く伝わるため悪い評判がすぐ広まってしまう」というように状況が変わってしまっています。

さて、上記を見て何かお気づきかと思います。そう、上記3点をクリアして圧倒的なリピータ客をひきつけている観光地があります。東京ディズニーリゾート(TDR)です。

最近の記事で、TDRの感動スキルの具体例があげられていました。内容はいろいろありますが、要は「ここに来てくれてありがとう」ということをあらわせるか、ということに尽きると思います。北風と太陽の話で言うところの「太陽戦略」です。

TDRの累計入園者数はすでに3億人を超えています。となると、日本全国すべての観光地はTDRのサービスを基準にされる、と思っていたほうがよいと思います。であるからには、最低でも顧客の気持ちになってサービスをすることをしないとよい評価は得られないのではないでしょうか。

また、各地の整備ですが「地元色」を前面に出すべきでしょう。日本全国が東京を見て同じ方向に進んでいるように見えるからこそ、「プチ海外旅行」や、「日本語と日本円が使える海外旅行」になるくらいの違いを意識して出したほうが、かえって客に受けるような気がします。方言があっていいです。食事も違うものを独自に出したほうがよいでしょう。少なくとも、中央官僚の型で押したような「リゾート施設」では、「また同じかよ」で済まされてしまうと思います。

湯布院がなぜ成功したか、そして各地は観光客の何を満たすか、自立性が問われていると思います。
(日本の行政が一番下手なのがこの「ソフト作り」なんだけど)

(観光ガイドは、自信を持ってあちこち教えられるような知識と、コースの発掘が必要だろうな・・ネタは小さくても物語をうまく作っていけば感動を呼べるだろうし)

2004 05 22 [旅行・地域] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

政治に取捨選択はできるのか

去年の今頃、株価は下落を示す一方で、株価対策=景気対策=デフレ対策、がいろいろと騒がれていました。確かに日経平均株価は下がっていましたが、今の「デジタル景気」については明らかに目が出ていたと思います。個別の商品で見ると、DVD+HDDレコーダは3世代目に入り安定化し、大型平面TVやデジタルカメラにしても、電気店店頭では明らかに売れていました。そういう意味では、昨年底を売った、という見方は正しいと思います。

さて、政治で考えた場合、判断基準が必要になりますがこれはたとえば日銀短観だったり日経平均株価だったりすると思います。個別の会社や商品の売り上げ、開発状況を見て「これだけ売れているから大丈夫」、とか「こんなのを出すようではこの会社や市場はやばい」ということは実はできないのではないか、とも思えるのです。実はこれは一般マスコミも同じかもしれません。

 比較的マニアが多いジャンル(たとえば自動車とか、カメラとか)では、スペックを見たり使っている部品を見るだけで「これは気合が入っている」とか、「穴埋めや対抗でスケジュール的に無理がある」などは大体わかります。専門誌のレビューで疑問が呈されるような商品はたいてい売れませんし、このような商品しか出てこないメーカーは開発力に問題があるのではないか?となります。

そこで、景気対策となるのですが、効果ある投資行動(売れるところを育てていく)ための目利きが政府に期待できるか、というと残念ながら無理だと思います。というのも、個別の担当者にはその能力を持つ人がいたとしても、政府としての総体として「総合政策」という美名のもとに取捨選択ができないようになってしまっているからです。正確に言えば、セーフティネット論が強いために「拾うことはできても捨てることができない」だからでしょう。

また、政府の「公共事業」は、ほとんどは時間を買っている先食いに過ぎません。以前のキャッチアップ期であれば、民間が育つための土作り(インフラ整備ですな)として、道路や港湾、空港や通信を整備していくことは重要でした。ただ、そこで問題だったのは「どこまで整備したらやめるか」が明確にできなかったこと、さらには整備計画に乗ることで利益を得た人が政治上の権力も持ってしまったため、捨てることができなくなってしまったのでしょう。

捨てる!技術」は本として売れるところから見ても、個人でも結構難しいことです。ましてや、しがらみが多すぎる政府にとっては、ほとんど不可能なことでしょうし、実行するためには政権交代しか口実が無いと思われます。

となると、市場へのアクションは取捨選択の繰り返しですから、政府にはほぼ不可能ではないか、と考えざるを得ません。年金資産の運用をこのまま役人=政治介入を受ける可能性のある人(および組織)が行った場合には、捨てられず高値を拾わされる一方になってしまう可能性が強くなります(PKO=株価維持政策なんて発想がでるところが典型です)。

政府がかける「セーフティネット」の強さをどうするかは、非常に難しい問題です。両極(完全保護の社会主義と全部自己責任の自由主義)のどちらも人間としては耐えられないことは歴史が証明しているでしょう。では、われわれの政府はどの程度がいいのか?安心を求めるならコストを社会全体として維持できるのか?低コストを求めるのならば、厳しい社会でわれわれは生きていけるのか?自己責任で選択をしていくことを社会に明確に示す必要があると思っています。

2004 05 22 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.19

年金はなんでこんなにわかりにくいのか?

世間を騒がしている「年金問題」、そもそも現行のシステムはいったいどうなっているのか、私自身よく知りません。ということで、基本である社会保険庁のページで調べてみました。
1.種別は、「老齢年金」、「障害年金」、「遺族年金」の3種がある。
ふむふむ、今話題になっているのはもっぱら「老齢年金」だよな。
2.昭和16年4月1日以前か、4月2日以降かでシステムが分かれる
・・改定があったときか・・まあ、仕方がないか。私は後者だから、こちらをみる、と。

3.支給要件・・エクセルのシートでも作らないとシミュレートできんな・・

4.厚生老齢年金の報酬比例部分・・さらに面倒になってきたぞ

まあ、直感的にはわかりません。もちろん、計算式がオープンになっていれば、これを適当にプログラム化すればシミュレートは可能だし、そんなに難しい式ではないように思えます。

では、なんでこの辺が評判悪いのか?ひとつは、式の変数が多く、かつ自分で判断しなければならない部分が多いため、最終的に自分がどうすべきかわかりにくいことが挙げられます。
たとえば、現行では60歳からの支給を選択すると支給額が減額されますが、では65歳からの方が「得」なのか、どうか、という選択があります。私が職場などで話をしていると、「すぐにもらいたい。それまでに死んだらしょうがないし」という意見の方が多数派のようです。実際、現行のシステムでは65歳以降支給開始(いわゆる満額支給)を選んだ場合で総支給額が多くなるのは75歳を過ぎてからなんですね。となると、これは実質切り下げということになります。

これらは、「支給を受けるほう」から見た場合ですが、「独立した保険経営」としてみると客に対する支給ができなくなった辞典で「破綻」し、「解決策」としての支給切り下げなのでしょうが、通常はこういうことがあると「責任問題」になるはずなのですよね・・

金融庁傘下で会計監査をしてもらわんといかんのではないでしょうか(爆)

また、失政を取り繕うためのごまかしを「改正」とするためや、あちこちにいい顔をするためにつぎはぎになってしまったことがこの結果となっているように思えます。
「商品」が少ないのだからもっとシンプルにできるはずでしょうけど、オプションが多すぎるのが問題なのでしょうね。

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2004.05.18

マスコミは官庁批判はできないのか?

木村氏のゴーログ、いよいよ年金問題に切り込み始めたようです。また、マスコミでも、たとえばasahi.comに年金問題に関するコラムが載ったりもして、多少動きが変わってきたのか、とも思っています。

とはいえ、坂口厚生労働大臣が年金保険料未納の情報漏れを追求する構えを示したことから、システムを直す方向ならよいですがスパイ狩りをする方向に向かってしまうと厚生労働省の勝ちになってしまうのでしょう。

こういう流れで見ると、マスコミの論調もなんか操作されているなぁ、というイメージを抱かざるを得ません。そういえば、小泉首相はどちらかといえば厚生族だったよな、ということを思い出したりもします。郵政民営化とあわせて、年金資金の使い方にもメスが入るべきなのでしょうが、ここにはなかなか切り込めていないようです。

無駄遣いや運用の失敗、コストの増大と言ったところに切り込み、業務改善に努めるようにもって行くべきなのでしょうが、運用側にインセンティブが働いていないため、今のままでよし、となっているのではないでしょうか。また、報道側としても、これでは部数が伸びていきません。

ネガティブなやり方は好きではないのですが、役所を動かすには理想を追うよりも罰する方向を使うしかないのかな、と思わざるをえなく、報道側も水に落ちた犬をたたくのが得意ときている。これでは建設的な発想は生まれてきそうにはありません。

非難ではなく、批判(それも冷静な根拠をもった)はなかなか難しいですが、うまく利用しながら付き合っていくしかないのかな、と感じています。

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2004.05.16

今週のニュース雑感

今週報道されたことについての雑感です。私自身のメモをかねています。

5月6日、ハンセン病の元患者の宿泊を拒否したホテルが廃業しました。これって、経営母体が化粧品会社、というのがなにかあったのでしょうか・・・

イラク人虐待、イギリスでの報道に捏造部分があったそうですが、トータルとしては情報機関による”拷問”があったのでしょうね・・まじめにジュネーブ条約を守っているとはみんな信じていない部分ではありますが。


年金未納議員多数、システム的な問題を提起するほうが先でしょう。人のミスをついて足を引っ張りあうのが政治と小学生に思わせるのは教育的によくないとおもいます。

皇太子殿下の記者会見がありました。具体的な内容はわかりませんが、殿下があそこまで言うということは何か、と思わざるを得ません。宮内庁という組織が、社会(および皇室自体の変化)についていけず自己防衛に走っているのかな、とも思えます。

韓国の大統領弾劾が棄却されました。世界的に見ても珍しい現象ですが、(形だけかもしれませんが)民主主義が機能していると肯定的に見たいと思います。

三菱自動車の建て直し
日産と状況が違うのは三菱グループという小姑がいたことなのかな、と思います。同様に外資の傘下に入ったマツダは、以前から実質フォード傘下だったのと、生産技術や開発力でフォードグループ内で力を認められていたため復活をしたのだろうと思っています。ただ、見ていると三菱の場合は目立った開発力が弱いように感じるため建て直しは難しいかな、と思っています。

Winny開発者逮捕、本人の考え方やユーザの大多数の使い方には確かに問題があったと思います。ただ、だからといってすべて中央集権的なサーバ管理で、というのはどうかな、と思いますし、これでネット配信がもっと遅れるのかな、と思うと残念ですね。iTunesの盛況を考えると。

サンダーバード実写版日本語吹き替えはV6だそうで。予告編を見る限りは、アメリカンな要素が強くて原作の人形劇版にあった「優雅さと余裕」がどこまで残っているか不安ではあります。


2004 05 16 [ニュース] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.15

年金は省庁の資金源争いか

年金について、国会議員等の未納問題が新聞紙上をにぎわしておりますが、記事を読む限り、本人というよりも、システム(および運用する官庁)に問題があるとしか思えません。払う意思/能力がある人たちに対して、一言切り替えを通知すればすむだけの話が多いようなのです。それに対して、社会保険庁側から「過去はこうだったから、今後はこういうシステムにしよう」という話は聞こえてきません。

さて、予算の話になります。省あって国なし、という言葉があるように、各省庁は独自に業務を執行し、重なっている部分を改めようとはしていないようです。使う方で見ると、道路が国土交通省所管部分以外にも農水省所管の農道があったりするように(時には平行して走ることもあるようで)。

さて、今度は入ってくる方で見ますと、ガソリン税などの自動車関連税と同様に、「年金保険料」が厚生労働省所管の資金として「自分達の金」と思っているのではないでしょうか。

となると、税方式への議論が進まないのはある意味当たり前でしょう。厚生労働省側から見れば、年金財源を消費税かでまかなうとなると自分達の金ではなくなりますから。

木村氏流に言えば、省庁については「ガバナンスが効いていない」ことになってしまうのです。本来であれば、政府が全体としてバランスを考えて作った予算を、国会が中立の立場で議論し問題がある部分についてチェックしていくはずなのですが、政府首脳=国会議員であり、かつ各省庁の立場で考える「族議員」が力をもってしまっている現状では、ガバナンスとして機能するはずがないのです。議院内閣制の元では、野党と与党による政権交代の可能性が、一般企業では他の企業との競争、という形で圧力が働き暴走を防ぐのですが、現状ではこれも圧力として機能していません。このあたりは、私が以前の記事で書いたとおりです。

政治=予算配分=権力になる要素が大きい以上、理想論だけでは動かないし、おのおのが考える理想も違うでしょう。ただ、ガバナンスが効いている=健全な圧力がかかっている、という状態になるように、投票行動なり、通常の意思表明なりをしていくことが必要と思っています。

2004 05 15 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

2004.05.14

ジャーナリズムが育つ土壌は何か

 木村剛氏の本日のコラム「知る権利」と「プライバシー」 へのトラックバックです。

 なるほど、今週の動きはこうつながってくるのですね。確かに、ご家族を含めて身の危険を感じるような状況に置かれては、私のような浮き草ネットワーカーには感じられない「リアルなリスク」を重視せざるをえないでしょう。それこそ、メディアによってテロリストに餌を与えられたようなものでしょうから。

さて、では理想的なジャーナリズムとはいったい何なのでしょうか。

よく引き合いに出される状況として「1984年」(ジョージ・オーウェル作)の”ビッグ・ブラザー”による監視社会があります。これは中央集権による全体主義を批判した書として知られています。さて、では「誰でもアクセスが保証されたビッグ・ブラザーだったらどうなるか?」と考えてみましょう。

 メディアは権力に対して報道することでチェック機能を持たせられている、と思っています。であるならば、もしも完全にプライバシーが存在していない(権力側においても)社会であるならば、これでよいのでしょうか?すぐに分かることですが、答えは”NO”です。つまり、「知られては困る情報」といわれますが、権力がその気になった場合は「黙殺」という手が取れるからです。良い例が、最近のイラクにおける米軍の捕虜虐待でしょう。もちろん、米国の立場は悪くなっていますがだからといってすぐにイラクから撤退するとか、経済制裁を受ける(どこから?)、などのことが起きる様相は見られません。これがもしもイラクが米軍兵士に対して同じ事をしたらどうなるだろう、ということを考えればすぐにわかることと思います。

つまり、「情報はパワーバランスを補う道具になるという保証は無い」のです。

裏を返せば、情報が力を持つようになっている社会が民主主義である、ともいえるでしょう。こういう社会であって始めて、健全なジャーナリズムが報道として力を持っていくことができると思うのです。

このように考えると、「知る権利」を行使するに値する「情報」は「民主主義を守り育てていくためのもの」であることが基準となり、それ以外の個人の動きなどは「プライバシー」に属すると考えてよいでしょう。

具体的に考えてみれば、「小泉首相が靖国神社へ参拝に行った」というのは、個人的な信仰や思想に属するとは言え、「決断を行うにあたってどういうバックグラウンドを持っている人物なのか」ということでは報道に値すると思います。ただ、「小泉首相はX-JAPANのファンである」になるとだいぶ重要度は下がってくるし、「小泉首相の今日の夕飯」なんて記事がもしあったとすればまさにプライバシーに属することになると思うのです。

こう考えていくと、社会を良くして行くジャーナリズム、というのは、会社を誤った方向には進めないようにする会計による監視システムと同様の意味を持っていると思います。

そして、この「健全なジャーナリズム」が業として成り立っていくには、このような記事を載せた方が売れる、という形にならなければなりません。これは、ネットでの掲示板で、「荒らし行為」の価値が社会的に下がっていく圧力がかかるべき、という方向と同じでしょう。つまり、コミュニティにおける報道の重要性が、プライバシー報道について下がっていかなければならないのです。

これは、結構難しいことと思います。現実に、ゴシップ紙の方が売れているのです。

悩ましいのは、ゴシップ記事の内容はプライバシーとは言えほとんどの読者にとっては「どうでもいい」、または「井戸端会議のネタ」以上の価値がないためブレーキをかけるインセンティブが働かないのに対し、報道された側にとってはごく一部でも犯罪者やテロリストには知られては困る情報がプライバシーである、という見方ができるからです。
そして、ゴシップ紙の経営はこの、大多数の「単なる話のネタ」と考える読者によって成り立っているため、停めようとするエネルギーが働かないことでしょう。

となると、モラルの世界になるわけですが、これはネットでの荒らしを減らしていくのと同様に教育によるしかありません。結果としては即効性を持つ特効薬は無い、となってしまいます。

メディア側は犯罪を引き起こしかねないプライバシー情報を流すことの責任を持ち、読者側はそのような記事を流すメディアは価値が低い、ということを意思表示していくしかないのでは、と思っています。

2004 05 14 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.13

投稿に対する意識と決意

今回ゴーログ、木村氏は「2ちゃんねる的な匿名」というものをもっと大事にしよう、ということを言いたいのかな、と思っています「匿名」で(つまり、IDを固定することなくだれでも投稿できるフリーな場)が確保されている、という点でひろゆき氏はよくやっている、ということでしょう。この点には私も賛成します。

さて、私個人のことを考えてみると、いわゆるnifty文化で育っていますし、また実名ネットで活動していたせいもあり、いままでのblogでの書き込みも匿名で書いている、という意識は実はありません。2ちゃんねる的にいえば「コテハン」なわけです。また、書き込みのクセも一種の芸であろう、と認識しています。

さらに、かつては書評のページを担当していたせいもあり、少なくとも「自分が読んだ本についてコメントする」、「個人的な意見は一般化しない」、「否定的な意見は出来る限り使わない」、ということをポリシーとしてきました。これは、ネット書評である以上、作者との交流があり、そこではむやみやたらに酷評はできないと判断したためです。これは、私なりの自己防衛手段でもあり、ボードを荒らさないための工夫でもありました。

ですので、以前から2ちゃんねるは知っていましたがそのあまりに傍若無人な雰囲気からしばらく距離をおいていた、というのも事実です。今でも書き込みはしていません。

まあ、木村氏の場合は特に政策を主とした経済分野で現行のシステムを批判するような本を書き、かつ目だっているため余計にリスクが大きいのでしょう。

であるために、TVというメディアが権力に弱いのはむべなるかな、という気はしています。

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2004.05.12

ネットと本の違い

「月刊!木村剛」がいよいよ本格的に動き出したようです。で、実現するために転載、引用をどうするか問題提起されています。色々とありますが、要点は下記の部分でしょう。すなわち、
-------引用開始------------------------------------------------------------------
11. そこで、その「条件付き」とは何か、ということになるのですが、この問題に関する、私の現時点における暫定的な考え方は、
① 原典が、無料で不特定多数に制限なく開示されているネット上の文章であり、
② その原典を明示し、「リンク」が明示的に張ってある場合であって、
③ その文章をネット上で無料で不特定多数に対して制限なく開示している場合
には、「(全文引用に近い)転載」を認める、というものです。

------引用終了-------------------------------------------------------------------
だと思います。

他の方も色々と意見を述べられていますが、やはり「ニュースサイトとかの全文引用はまずいのでは?」ということにつきます。この論では、ネットで普通に見られる文章は好きにまとめてよい、ということになってしまうからです。

かつてのパソコン通信時代の「ネチケット」では、たとえば
「転載は不可」、「原典はログを見ればわかるので出来る限り避ける」、「引用は本文の1/4以下」、などといったガイドラインがあったように記憶しています。これは、当時の貧弱な通信環境では同じものを何度も読んだり、従量制課金体系では文章量=コストですので出来る限りコンパクトにする、という意味もありました。もちろん、著作権法上の「引用」を超えないようにする、という意味も大きかったのです。

ですから、たとえば木村氏が独自のサイトを作り、ここへのコメントは全文転載することがある、とのルールを明示しておくとか、現行の「週刊!木村剛」へのトラックバックは「月刊!木村剛」への転載がある、との前提で運用をする、ということになるのでしょう。

私の拙文などは、「コメント」に近いものなので別に全文引用があっても特に問題はないと思っています。ただ、やはり別のサイトのものですので上記の条件をいきなり当てはめる、というのはまだ無理があるのでは、と思っています。

まあ、現行では紙の本では「リンクだけ」とはいかないので難しいところですけどね(ケータイのカメラでURLを読み取ってリンクしながら読む本、なんてのはまだ非現実的ですし)

2004 05 12 [ウェブログ・ココログ関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.11

TVの力と限界

本日は昼に木村氏がTVに出て年金問題を話されたそうですが、さすがに見られませんでした。残念です
さて、年金が色々と問題になってTVや新聞で色々と話題になっていますが、こういう「考える」ネタについてはやはり新聞の方が強いですね。TVは、「もらえる、もらえない」とか、「あの人は払ったか?」にしか感心が無いように見えます。

さて、今回河野太郎衆議院議員に年金問題の公開質問状を出し、出演のご返事をいただいたとのこと。彼のオフィシャルページにはあまり年金ネタは出ないのですが、どうなることやら。

さて、本日の「ごまめの歯ぎしり」(河野太郎衆議院議員のメールマガジンのこと)には、核燃料サイクルのことをなぜTVは取り上げないのだろう、という話題が出ていました。ことの是非はここでは取り上げませんが、テレビというメディアは意外と独立性が低く、機動力にも欠けているのではないか、という気がしてきました。
 もちろん、電波という限られた手段をつかっておりかつ免許制ゆえにお上にたてつくようなことがしにくい、というのはあるでしょう。それ以上に、実は時間に縛られていること、番組ごとに別個に作っているため社としての統一行動が取りにくいことが「気概のある人間はいないのか」といわれてしまう状況を作ってしまっていると思います。

さらには、テレビは映像が武器ですが、逆に「映像にならないものは伝えにくい」という欠点を持っています。
私の個人的体験では、たとえば「醤油の分析」を取材されたときでも、実際にやっていることは非常に地味なわけです。ガスクロに必要な薬剤を入れるだけだったりして眼に見えて派手な変化がおきるわけではありません。出てきた数値を見て、これは良く出来た、これは悪い、なんて事ですのでテレビとしては困ってしまうわけなのです。仕方が無いので、チャートの針が振れる絵を取って無理やりつないだりしています。

国会中継は、実はインターネットで過去分まで遡って見られるようになっていますので、たとえば、議長が「ご異議ありませんか」と言って河野太郎衆議院議員が「異議あり!」と大声でほえても「ご異議なしと認めます」と無視されたようなシーンがしっかり見られるようにもなっているのです。
ただ、検索が難しいのですよねぇ・・

こういうのを探してくれるエージェントなり検索エンジンってないものでしょうか?

動画のパーソナル化が進めば、ビデオジャーナリズムが進んでいくと期待したいものです。

2004 05 11 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.10

もっともっと夢を見よう

ゴーログの方は大体収拾がつきつつあるようですので、今回は少し視点を変えます。
先週、HOTWIREDで、科学の特集が組まれていました。まだ記事は一通り読めます。ここでは、たとえば脳とコンピューターを直結するインターフェースが現実にのような、まるでSFじみた話が出ています。

ただまあ、一昔前には、個人がコンピュータを持ち、こうしてネットワークでつながること自体がSFでしかなかった話でした。特にケータイについては、誰がこんな進化を予想したでしょうか。あとは、人工知能をつけてエージェント(情報を検索し、ユーザに必要な情報を知らせるなど、の「電子執事」)をやらせる、という方向に進むのかな、ということを夢想したりもします。

こういったことも、「ビジョン」を抱いていくことが重要ではないかな、と思っています。現実を処理していくだけではつまらないし、この先どうなるか、これができたら次はどれか、ということを想っていく力が。

もちろん、科学技術がすべて人々を幸せにする、という安直な考えは持っていません。ただ、だからといって今の状態がベストである、とした時から衰退は始まると思うのです。

今の時代、何かすべて調べつくされたような感覚があるかもしれませんが、実際は違います。体験にしたって、TVを見て知った気になるのと、実際に体を動かしてやるのとではまったく違うのです。今火星で探査機が2機活動していますが、これらが送ってきた映像も今まで誰も見たことがない世界なのです。

他にも、宇宙エレベータについても色々な議論がされています。核融合も、日本に施設が出来て本当に出来るかもしれないし、風力発電の方が実用的かもしれません(近所に10本近く発電用風車が出来、家庭用ならばこの近辺はかなりまかなえるレベルにまできました)

これらも、「あきらめないこと」、「実現を夢見ること」から出来ていると思うのです。間違った方向に行かないように気をつけることは必要ですが、現実につかりすぎないようにしていくことも大事だと思っています。

2004 05 10 [科学、学問] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.08

記事の信頼性は内容で決まる

以前、私自身が木村氏の記事にトラックバックをした時も書きましたが、私の考えは以下の通りになります。
1.匿名だろうが実名だろうが、荒れるときは荒れる。
2.匿名でもきちんとした議論はできるし、実名でもしょうもない方向に進むことはよくある。
3.ただし、現実に影響を及ぼす行動に移るときは匿名では弱いかもしれない。
となり、内容で勝負、ということになります。

また、「コミュニティ」という考え方からすれば、「匿名の方はコミュニティを壊す権利を持っているのか」、という問いについては明確にNoと言えると思います。というよりも、コミュニティを壊す、ということは実名であっても許されないと思うのです。

現実論からすれば、荒らし等への対処は他の方も書かれている通り、「無視する」がもっとも効果的です。文字によるコミュニケーションの特性上、「聞き違い」などということはありませんし、見なかったことにするのはきわめて簡単です。

最近のコラムに、「本当のセキュリティーはコミュニティーから生まれる 」というのがありました。これは、住まいの安全は丈夫な塀ではなく、相互にむすびついたコミュニティの方が重要である、という趣旨です。「北風と太陽」のようなもの、と言えるかもしれません。

ネットワーク上のコミュニティもおなじような事が言えると思います。たとえ実名であったとしても、トラブルはあります。見も知らぬ人々同士でも、仲良く場を盛り上げていくことも出来ます。悪意のある人がいる、という事実は無視できませんが、最初からすべてが悪である、というのも却ってリスクを増やしているのかもしれません。

あと、「言論の自由」という点では、単に内容のレベルで判断していくしかない、と思っています。極論を言えば、新聞報道などはすべて「匿名」です。新聞社なり通信社なりの名前があるじゃないか、とは言っても組織として内容の保証をどこまでしているか、という点では実のところあまり変わらないじゃないか、という気がしています。さらには、「内容を判断できる目」が読者に育っていけば、荒らしなどの発言はすぐに駆逐されていくでしょう。

コミュニティ自体を大切に育てていくことで、心無い人たちからの「攻撃」に対して、対処もでき、また逆に守ってもらえるようにもなっていくのだろう、と思っています。

2004 05 08 [ウェブログ・ココログ関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.07

会計戦略の発想法、もうすぐ読了

このGWも利用して、すこしずつ「会計戦略の発想法」を読んでいます。いわゆる「当たり前」のことが書いてありますが、当たり前のことを当たり前に出来ないのがこの世の中の難しさかな、と感じています(三菱ふそうのリコール隠しも結局ガバナンスが機能しなかった例でしょうし)

などということをつらつら書きつつトラックバックを重ねていく中で、総合ランキング11位、というところまでなんとかこぎつけられました。今回は、初めて直接トラックバックもいただきましたし。皆さんの楽しい企画にのせてもらうのも良いものだと感じています。

さて、今日は日経BPのコラムもよみました。ジェネリック医薬品がテーマになっています。確かに、医療を考えた場合、「今まで直らなかった病気を治す新薬」の方がどうしてもニュースとして、そして話題としては良く取り上げられますが、実際には既に分かっている方法をルーチンワークとして治していく、ということの方が多いでしょう。そうなると、ここにかかるコストを削っていくことがトータルの医療費を減らしてくこととして重要である、と感じます。

医療を経済の面から考えた場合、独立した経営体の病院が多数ある、というようには捉えられないと思います。なぜなら、保険点数という形で値段が均一化されており、競争が働かないようになっているからです。もちろん、過去において「医者にかかることが出来なかった人が多い状況を国民皆保険により誰でも医療の恩恵にあずかることができるようになった」ということは大きな功績である、と思います。ただ、コスト意識が働きにくいこと、事が生命に関わることゆえ、判断ミスをした場合のリスクが大きいためついつい高価な方を選んでしまいがちである、ということが問題を難しくしていると思っています。

これって、実は教育においても同じことが言えます。教育が重要であることは誰もが認識しているでしょう。では、「どれだけのコストをかけて、どういうことを行い、どのような成果が上がればよいのか」という具体的な内容はあまり議論されていません。というのは、定量的に考えること、つまり「ここまで採用する」は対偶として「これ以外は切り捨てる」という議論につながり、「最高でないことは悪である」ということになってしまうからです。さらに、判断の責任論につながるとついつい「安心」に流れてしまい、コスト構造が先送りになってしまいます。

判断には権限と責任が伴いますが、どちらも取りたがらない、ということをなんとかして脱していくよう社会を変えていくよう努力をしていかないといけないのでしょう。

ま、政治家の中でも比較的はっきり言うタイプの河野太郎氏も「政策が修正されないのは政治家の責任だという気がしてきた」と書いていますので、今後は少しずつ変わっていくのかもしれません。

2004 05 07 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.06

育った環境と考え方

というわけで、ゴーログウィーク賛同企画です。こういうノリは好きですね。あとは内輪受けになり過ぎないように・・

さて、地政学という考え方があり、各地域の地形や気候、そして相対的な関わり合いでその地域の特性が決まるというものらしいです。当然、そういう違いがありますので、それぞれの地域ごとで育った人々にある程度のバイアスがかかるのは自然なことでしょう。

私は、出身は広島の瀬戸内側です。瀬戸内海というのは、歴史上交易路として重要な場所でしたから、陸路と同時に海路がある、というのは私にとっては自然な発想です。ですから、たとえば関空へのアクセスに高速艇があったり、海を挟んでひとつの共同体になっていたりするのは当然に思えるのです。

こうした流れの中、最近は韓国や中国と九州との係わり合いが大きくなってきました。昔から関釜フェリーはありましたし、福岡から高速艇で3時間で釜山へつながっています。飛行機でも中国は日帰り圏です。こう考えていくと、東京のような関東圏の太平洋側はじつは結構辛い場所だな、という感覚があるのですね。

さらに、冷戦当時は日本海側は対岸がソ連だったため非常に遠い感覚だったわけですが、ロシアになり、自由貿易が発達してくるとたとえば新潟のような国際港はとても重要な場所になるわけです。

かつては絶対に無理(政治的に)と言われていたドーバー海峡トンネルがあっさり出来たりすることを考えると、20年後は日本海側の時代になっているかもしれませんね。

2004 05 06 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004.05.02

世界に通用する表彰をしよう

さて、今年はオリンピックイヤーです。女子マラソンで高橋尚子が落選したり、サッカーでU-23代表が頑張ったり、北島康介がいい記録を出したり、色々と楽しみがあります。ただ、ここで「金メダルを取った人に別の表彰をする」のはどういう神経なんだろう、という疑問が生じています。

まあ、会社勤めの人がその会社から表彰されるのはいいです。バックアップをしましたから。また、地方自治体レベルで表彰したり、というのは微笑ましい、という感じもしています(1年いただけの場所からの表彰、というのは格好わるいけど)。ただ、国家レベルで、特に「国民栄誉賞」というのはいったいなんだろう?という感じがしてならないのです。

国民栄誉賞、検索してみると最初は王貞治氏がホームランの世界記録を出したときに、時の福田首相によって行われた、とあります。まあ、気持ちはわからなくはないですが、どうしても「後付」の賞、という印象がぬぐえないのです。

また、「ノーベル賞を取ったから表彰」というのも、なんだかなぁ、という感じがしています。逆に言えば、自分達にその人たちの業績を見抜く目が無かったことを証明しているようなものだからです。

少なくとも、国家レベルでは何か「俺達が表彰したんだからこれはすごい!」といえるような表彰制度、つまり自信と責任を持った目利きでなければならないと思います。

後付の表彰、これはすごく楽です。なにせ既に権威付けされているものについていくだけですから(こういうのを、人のふんどしを借りて相撲を取る、というはず)。逆に言えば、ノーベル財団がいかに努力と調査をして権威を守っているという苦労を踏みにじっている、という見方すらできるのです。

政府がすべき、とは言いません。外郭団体でも一般民間団体でもいいです。ただ、少なくとも後付の表彰は恥ずかしいものである、という認識くらいは持って欲しいものです。そして、「自分達の判断に自信があり、その自信を裏付けるだけの努力を行い、責任を持てるレベルでしっかり見ている」ということをしていかないといつまでもこのようなことが繰り返されるでしょう。

さらに言えば、自分で表彰できるくらいの目を持たないと世界に伍してリードしていく、なんてことは出来ないはずなのですよね。また、自分の道を切り開いていくためにも、自分で自分の道を見つける能力にもつながるはずなのです。色々な賞があって、それぞれの判断が違っていてもそれは当然と思います。そして、それぞれが自信をもって個性を出していけば、お互いに高めあっていくこともできるでしょう。

マイ・ベスト・○○というのを自分達ですこしずつ作っていくのも面白いでしょうね。

2004 05 02 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック