« 年金問題をみんなで議論しよう | トップページ | 育った環境と考え方 »
2004.05.02
世界に通用する表彰をしよう
さて、今年はオリンピックイヤーです。女子マラソンで高橋尚子が落選したり、サッカーでU-23代表が頑張ったり、北島康介がいい記録を出したり、色々と楽しみがあります。ただ、ここで「金メダルを取った人に別の表彰をする」のはどういう神経なんだろう、という疑問が生じています。
まあ、会社勤めの人がその会社から表彰されるのはいいです。バックアップをしましたから。また、地方自治体レベルで表彰したり、というのは微笑ましい、という感じもしています(1年いただけの場所からの表彰、というのは格好わるいけど)。ただ、国家レベルで、特に「国民栄誉賞」というのはいったいなんだろう?という感じがしてならないのです。
国民栄誉賞、検索してみると最初は王貞治氏がホームランの世界記録を出したときに、時の福田首相によって行われた、とあります。まあ、気持ちはわからなくはないですが、どうしても「後付」の賞、という印象がぬぐえないのです。
また、「ノーベル賞を取ったから表彰」というのも、なんだかなぁ、という感じがしています。逆に言えば、自分達にその人たちの業績を見抜く目が無かったことを証明しているようなものだからです。
少なくとも、国家レベルでは何か「俺達が表彰したんだからこれはすごい!」といえるような表彰制度、つまり自信と責任を持った目利きでなければならないと思います。
後付の表彰、これはすごく楽です。なにせ既に権威付けされているものについていくだけですから(こういうのを、人のふんどしを借りて相撲を取る、というはず)。逆に言えば、ノーベル財団がいかに努力と調査をして権威を守っているという苦労を踏みにじっている、という見方すらできるのです。
政府がすべき、とは言いません。外郭団体でも一般民間団体でもいいです。ただ、少なくとも後付の表彰は恥ずかしいものである、という認識くらいは持って欲しいものです。そして、「自分達の判断に自信があり、その自信を裏付けるだけの努力を行い、責任を持てるレベルでしっかり見ている」ということをしていかないといつまでもこのようなことが繰り返されるでしょう。
さらに言えば、自分で表彰できるくらいの目を持たないと世界に伍してリードしていく、なんてことは出来ないはずなのですよね。また、自分の道を切り開いていくためにも、自分で自分の道を見つける能力にもつながるはずなのです。色々な賞があって、それぞれの判断が違っていてもそれは当然と思います。そして、それぞれが自信をもって個性を出していけば、お互いに高めあっていくこともできるでしょう。
マイ・ベスト・○○というのを自分達ですこしずつ作っていくのも面白いでしょうね。
2004 05 02 [経済・政治・国際] | 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
この記事へのトラックバック一覧です: 世界に通用する表彰をしよう: