« 年金はなんでこんなにわかりにくいのか? | トップページ | 観光資源と生かし方 »

2004.05.22

政治に取捨選択はできるのか

去年の今頃、株価は下落を示す一方で、株価対策=景気対策=デフレ対策、がいろいろと騒がれていました。確かに日経平均株価は下がっていましたが、今の「デジタル景気」については明らかに目が出ていたと思います。個別の商品で見ると、DVD+HDDレコーダは3世代目に入り安定化し、大型平面TVやデジタルカメラにしても、電気店店頭では明らかに売れていました。そういう意味では、昨年底を売った、という見方は正しいと思います。

さて、政治で考えた場合、判断基準が必要になりますがこれはたとえば日銀短観だったり日経平均株価だったりすると思います。個別の会社や商品の売り上げ、開発状況を見て「これだけ売れているから大丈夫」、とか「こんなのを出すようではこの会社や市場はやばい」ということは実はできないのではないか、とも思えるのです。実はこれは一般マスコミも同じかもしれません。

 比較的マニアが多いジャンル(たとえば自動車とか、カメラとか)では、スペックを見たり使っている部品を見るだけで「これは気合が入っている」とか、「穴埋めや対抗でスケジュール的に無理がある」などは大体わかります。専門誌のレビューで疑問が呈されるような商品はたいてい売れませんし、このような商品しか出てこないメーカーは開発力に問題があるのではないか?となります。

そこで、景気対策となるのですが、効果ある投資行動(売れるところを育てていく)ための目利きが政府に期待できるか、というと残念ながら無理だと思います。というのも、個別の担当者にはその能力を持つ人がいたとしても、政府としての総体として「総合政策」という美名のもとに取捨選択ができないようになってしまっているからです。正確に言えば、セーフティネット論が強いために「拾うことはできても捨てることができない」だからでしょう。

また、政府の「公共事業」は、ほとんどは時間を買っている先食いに過ぎません。以前のキャッチアップ期であれば、民間が育つための土作り(インフラ整備ですな)として、道路や港湾、空港や通信を整備していくことは重要でした。ただ、そこで問題だったのは「どこまで整備したらやめるか」が明確にできなかったこと、さらには整備計画に乗ることで利益を得た人が政治上の権力も持ってしまったため、捨てることができなくなってしまったのでしょう。

捨てる!技術」は本として売れるところから見ても、個人でも結構難しいことです。ましてや、しがらみが多すぎる政府にとっては、ほとんど不可能なことでしょうし、実行するためには政権交代しか口実が無いと思われます。

となると、市場へのアクションは取捨選択の繰り返しですから、政府にはほぼ不可能ではないか、と考えざるを得ません。年金資産の運用をこのまま役人=政治介入を受ける可能性のある人(および組織)が行った場合には、捨てられず高値を拾わされる一方になってしまう可能性が強くなります(PKO=株価維持政策なんて発想がでるところが典型です)。

政府がかける「セーフティネット」の強さをどうするかは、非常に難しい問題です。両極(完全保護の社会主義と全部自己責任の自由主義)のどちらも人間としては耐えられないことは歴史が証明しているでしょう。では、われわれの政府はどの程度がいいのか?安心を求めるならコストを社会全体として維持できるのか?低コストを求めるのならば、厳しい社会でわれわれは生きていけるのか?自己責任で選択をしていくことを社会に明確に示す必要があると思っています。

2004 05 22 [経済・政治・国際] | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:

この記事へのトラックバック一覧です: 政治に取捨選択はできるのか:

コメント