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2004.05.26

報道の存在意義はなにか

かつて、日銀の発表や政府報道において、資料配布時の順番を取ることが重要だったことがある、と聞いたことがあります。しかし、今はWebでの同時報道が普通になり、資料配布自体を争うことはなくなりました。同様に、企業からの発表も、「資料が配られる」ような文書に関しては、わざわざ会見場に行く必要はない、というのが現実でしょう。

では、記者会見が開かれるのはなぜか。一つは、不祥事などで「頭を下げる絵がほしい」というマスコミの要請があると思います。企業側としても、一般市民に対しては、まず頭を下げておくことで反感を和らげる、という効果が計算されているのでしょう。

ただ、この様な情景は、ショーであり情感に訴えるものであると思います。政治においては、数字だけがすべてではなく、情感に訴えることで自分の主張を通すという技術はありですので、一概に否定はできません。ただ、現状を見ると情動部分が大きすぎるのではないか、と感も否めないのです。

特に、TV取材が優先されている現在、じっくり時間をかけて内容のある話を聞く、という状況ではないでしょう(話したとしても、切り刻まれるし)。ワン・フレーズポリティクス、というのはTVのヘッドラインに載る範囲で人を説得しようとする技術とも取れますが、危険であることは論を待ちません。

メディアの種類による適性がいろいろあるでしょう。特に、調査報道や分析記事はTVではなく新聞のような活字メディアの方が向いているというのは以前から言われていることです。そして、単に右から左へ情報を流すだけの報道というのは意味がなくなりつつあると思います。

では、どんな付加価値をつけて売るのか。一つは「編集」でしょう。自分でWebをさまようよりは、きちんと編集されたサイトの方が読みやすく出来ています。
もう一つは「分析」ですね。生データだけでなく、ここからどのような情報が導き出されるか。ここでは、各報道体ごとの癖(バイアス)が出ますが、これは個性と思っています(中立のふりをするくらいならいっそ・・)
最後が、「取材」ですね。これは、自ら情報を作り出す行為になります。ドキュメンタリーとか、調査報道、と言われるのがここでしょう。

で、ブログが世間に容認されるメディアになるかどうか。これは、結構難しいかもしれません。というのも、単にブログといってもいろんな内容があふれているわけです。また、自分の意見を言うことに慣れていない人が多いというのも信頼度を下げる原因になるでしょう。

ただ、上記は慣れの問題という見方も出来ます。意見を交換する場としてレベルが上がって行き、参考にして実行動に移れるようになれば、新しい個人に与えられたメディアとして力を発揮するでしょう。でも、単にこき下ろしたりするような記事ばかりだと読むほうにすれば「時間の無駄」になってしまいますし。

相互交流は結構難しいのですが、突破していった先の発展を期待したいと思っています。

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