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2004.05.14

ジャーナリズムが育つ土壌は何か

 木村剛氏の本日のコラム「知る権利」と「プライバシー」 へのトラックバックです。

 なるほど、今週の動きはこうつながってくるのですね。確かに、ご家族を含めて身の危険を感じるような状況に置かれては、私のような浮き草ネットワーカーには感じられない「リアルなリスク」を重視せざるをえないでしょう。それこそ、メディアによってテロリストに餌を与えられたようなものでしょうから。

さて、では理想的なジャーナリズムとはいったい何なのでしょうか。

よく引き合いに出される状況として「1984年」(ジョージ・オーウェル作)の”ビッグ・ブラザー”による監視社会があります。これは中央集権による全体主義を批判した書として知られています。さて、では「誰でもアクセスが保証されたビッグ・ブラザーだったらどうなるか?」と考えてみましょう。

 メディアは権力に対して報道することでチェック機能を持たせられている、と思っています。であるならば、もしも完全にプライバシーが存在していない(権力側においても)社会であるならば、これでよいのでしょうか?すぐに分かることですが、答えは”NO”です。つまり、「知られては困る情報」といわれますが、権力がその気になった場合は「黙殺」という手が取れるからです。良い例が、最近のイラクにおける米軍の捕虜虐待でしょう。もちろん、米国の立場は悪くなっていますがだからといってすぐにイラクから撤退するとか、経済制裁を受ける(どこから?)、などのことが起きる様相は見られません。これがもしもイラクが米軍兵士に対して同じ事をしたらどうなるだろう、ということを考えればすぐにわかることと思います。

つまり、「情報はパワーバランスを補う道具になるという保証は無い」のです。

裏を返せば、情報が力を持つようになっている社会が民主主義である、ともいえるでしょう。こういう社会であって始めて、健全なジャーナリズムが報道として力を持っていくことができると思うのです。

このように考えると、「知る権利」を行使するに値する「情報」は「民主主義を守り育てていくためのもの」であることが基準となり、それ以外の個人の動きなどは「プライバシー」に属すると考えてよいでしょう。

具体的に考えてみれば、「小泉首相が靖国神社へ参拝に行った」というのは、個人的な信仰や思想に属するとは言え、「決断を行うにあたってどういうバックグラウンドを持っている人物なのか」ということでは報道に値すると思います。ただ、「小泉首相はX-JAPANのファンである」になるとだいぶ重要度は下がってくるし、「小泉首相の今日の夕飯」なんて記事がもしあったとすればまさにプライバシーに属することになると思うのです。

こう考えていくと、社会を良くして行くジャーナリズム、というのは、会社を誤った方向には進めないようにする会計による監視システムと同様の意味を持っていると思います。

そして、この「健全なジャーナリズム」が業として成り立っていくには、このような記事を載せた方が売れる、という形にならなければなりません。これは、ネットでの掲示板で、「荒らし行為」の価値が社会的に下がっていく圧力がかかるべき、という方向と同じでしょう。つまり、コミュニティにおける報道の重要性が、プライバシー報道について下がっていかなければならないのです。

これは、結構難しいことと思います。現実に、ゴシップ紙の方が売れているのです。

悩ましいのは、ゴシップ記事の内容はプライバシーとは言えほとんどの読者にとっては「どうでもいい」、または「井戸端会議のネタ」以上の価値がないためブレーキをかけるインセンティブが働かないのに対し、報道された側にとってはごく一部でも犯罪者やテロリストには知られては困る情報がプライバシーである、という見方ができるからです。
そして、ゴシップ紙の経営はこの、大多数の「単なる話のネタ」と考える読者によって成り立っているため、停めようとするエネルギーが働かないことでしょう。

となると、モラルの世界になるわけですが、これはネットでの荒らしを減らしていくのと同様に教育によるしかありません。結果としては即効性を持つ特効薬は無い、となってしまいます。

メディア側は犯罪を引き起こしかねないプライバシー情報を流すことの責任を持ち、読者側はそのような記事を流すメディアは価値が低い、ということを意思表示していくしかないのでは、と思っています。

2004 05 14 [経済・政治・国際] | 固定リンク

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