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2004.06.04

安全はどこまで求めていくものか

昨年のアカデミー賞のノンフィクション部門を受賞した「ボーリング・フォー・コロンバイン」という映画があります。この中で、アメリカでは年間1万人以上の人が銃で殺されているのに対し、同じような歴史を持つカナダでは、ドアに鍵もかけていない、この違いはなんなんだ、というシーンがあります。ここでは「一般市民にとっては」恐怖が恐怖をあおり、負の連鎖が続いていくのでは、という問いかけがありました。

もちろん、これは「有名人」には当てはまらないでしょう。テロリストは確かに存在しますし、犯罪者も少なからず存在しています。では、どこまで自分で守ればよいのか?極端に走れば、各家庭に核爆弾がある、ということになってしまったり、ロボットの召使しかいなくて人間同士の接触がない社会になっていったりしてしまいます。

これは、国際社会における武装や仮想敵国論にまでつながってしまうのですよね。非武装中立、なんてのはさすがに非現実的なのですが、マクドナルドの法則(マクドナルドがある国同士は戦争しない)が成り立つ程度の”安全”は期待したいのです。

問題は、2001年の同時多発テロに言われるような”非対称の戦争”(大国対少数のテロリスト)が個人の安全についても成立してしまうことなのでしょう。すなわち、木村氏のような有名人ですと明確な意思を持つもの以外でも愉快犯のような敵まで想定せざるをえなくなってしまうと思います。

一般の「無名人」にとっては、以前にも紹介したように地域での共同体が一定レベルの安全を保つのに有効だと思います。

で、これは実はネット上での”安全”(荒らし対策)にも言える話だと思います。孤立した有名人はとかく狙われやすいと思います。ただ、ネット上でもコミュニティが成立していればお互いに守りあえる状況になるでしょう。

油断はできないし警戒も必要ですが全てが敵ではない、という状況をいかに作っていくか、ということだと思います。

2004 06 04 [経済・政治・国際] | 固定リンク

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