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2004.06.17

監査役と審判と

前回の記事で、監査においては内部監査が重要である、との論を書きました。ここでは、「日常的に」監査を続けることで通常業務においても監査事態に慣れていくこと、さらにはチェックを受けることで通常業務事態が監査に適合するようなものに変わっていく、のではないか、ということだと思います。

さて、では監査頻度やチェックのレベルはどの程度がよいのでしょう?全ての行動を逐一チェック、というのは非現実的ですね。かといって、現状の年1、というのは頻度が低すぎるように感じます。

さて、プレイとチェックという点ではスポーツがその形態としてわかりやすく表現されていると思います。たとえばサッカーで言えば、監査役というのは線審なのか主審なのか、という議論が必要でしょう。私は、普通に動いている企業であれば「線審」でよいと思っています。つまり、「オフサイドか否か」をきっちり見て、個々のプレイのあり方や笛を吹いて止める、ということはあまりありません。強すぎると、「じゃあ、監査ではなくて経営すれば」になってしまうからです。(企業活動の本文ではなく、監査に通ることが目的化してしまう)。

また、機械で言えば、監査役というのは警報装置、と言えるかもしれません。単にブザーを鳴らすだけなのか、システムを落として正常になるまで動かなくするか、というのはその機械(=企業)の設計次第です。警報のセンサーがしょっちゅう誤動作を起こして止まっているような機械では使えないし、異常があっても無視されて動いているようではいつか暴走して壊れてしまいます。

難しいのは、「何が異常か」の判断が一義的に決められないということでしょう。法律に照らし合わせて、と言ってもグレーゾーンは結構あります(裁判ですら判決は振れるのだから!)。信頼できる監査役を育てる、ということ自体、その企業のレベルを上げていく重要な活動ではないか、と思います(経営陣もそうですね)。

2004 06 17 [経済・政治・国際] | 固定リンク

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