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2004.07.02

インターフェースの地位はどうあるべきか

「そうは問屋が卸さない」というのは物事が思うようにはいかないものだ、ということわざですが、「問屋」が卸すかどうかが物事の決定権を持つ、すなわち流通、広義でいえばインターフェース部分が重要であった、ということを示していると思います。

さて、ここで「あった」と過去形で書きました。というのも、現在たとえばインターネットの発達によりインターフェース部分の従来の地位が下がってきているのではないか、と思っているからです。ありていに言えば「中抜き」ですね。政治で言えば、「行政」と「市民」がいて、その間の「政治家」(議員?)について、「口利きをする」という権能が落ちてきている、または一部で通用しなくなっている、ということではないか、と思います。

ところで、議会の議員の本来の業務は何か考えて見ましょう。国会で言えば「立法」ですね。法律を作ることで国家のルールを決めていくことです。ところが、国会の権能のひとつにある「予算の検討」過程において「陳情」を受け、その「陳情」を実現化する、さらには単に「役所に圧力をかける」というところに力が入ってしまうと、ひっくり返って「議員は役所へのつなぎをする機関である」となってしまいます。ユーザである国民にとって、本末転倒な現象がおきてしまっているのです。

まあ、利用者と利用される対象ではなく、そのインターフェース部分が実質的な権能を持ってしまう、というのは過去色々ありまして、たとえば徳川将軍の側用人である柳沢吉保が実質的な権力を持ってしまうとか(将軍に情報を伝えるか否かの判断ができる)、直訴禁止によって代官の面目を保っている、とかの例が挙げられると思います。

もちろん、対象側も無限の処理能力を持っているわけではありませんから、優先度の順位付けとしての前処理、というのはシステム設計上必要でしょう。ただ、あくまでもサブシステムである前処理が本システムの効率を却って落としてしまっているのでは、というのが現在の色々な問題点ではないでしょうか。

つまり、かつては人間が処理しなくてはならなかった、その分インターフェース部分の段数を多く取る必要があったのが、情報処理技術の発達により自動化でき、段数を減らせるにも関わらず未だに生き残っているためムダなコストがかかっていると思われるのです。

取り次ぐだけならば機械で出来る時代、インターフェースは本来の黒子に戻るべきではないのでしょうか。また、黒子ではなく高い地位を求めるのならば単純なインターフェースではなくネゴシエーションなり、提案機能なりの「付加価値」をつけることでその地位を高めていく努力が必要であると考えます。

冒頭の問屋の話に戻りますが、問屋業界も中抜きにあってかなり減りました。しかし、現在生き残っている問屋は商品の選別や組み合わせの提案、さらには商品開発能力まで備えた形でパワーをつけることで中抜きの流れに対抗し、自らの価値を高めているようです。

2004 07 02 [経済・政治・国際] | 固定リンク

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