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2004.07.17

記憶と体験と判断と

さて、101件目のエントリです。これからもじっくりと続けていきましょう。

昨日、キヤノンのデジタル1眼レフ(EOS1D MarkII)の全面広告を見ました。広告自体は、マウンテンバイクのレースの写真を載せて「選手の動きを予測して、鮮明な一瞬をとらえるフォーカス技術」というものであり、別に特別なものではありません。ただ、秒8.5コマの高速連写などが売りになるのをると、「これがもし同じ解像度で60フレーム/秒が撮影できるビデオシステムがあったらスチルカメラの変わりになるだろうか?」と考えてしまいました。

おそらく、答えはNOでしょう。スチルとムービーはやはり違うメディアだからだと思うからです。ムービーが一般化してきて、あらためてそう感じました。


では何が違うのか。私は「イメージ想起力の差」ではないかと思っています。

たとえば、同じ文章で考えて見ます。よく、「だらだら長く書くな」「簡潔にまとめろ」といわれます。これは、「長すぎると伝えたいことが伝わらないから」が理由なのですが、逆に言えば、「生データでは意図を伝えるためには無駄が多い」ということなのですよね。描写を長々としていくよりも、優れた俳句の方がイメージを伝えられる(感動させられる)事がある、ということだと思います。

では、報道を考えます。現行メディアは通常限られた枠(TVであれば秒数、新聞であれば文字数)で表現をすることが求められます。ですから、当然「編集」という作業が入り、そこには編集者の意図が入ります。これは不可避のため、たとえ中立であろうとしても「癖」のようなバイアスがかかるのは避け切れません。

インターネットでの報道は、文字数制限はありません。何文字何行のコラムに収めなければならない、という制限はないため、全文掲載なども簡単にできます。また、インデックスを作ることも容易ですし、さらには検索エンジンという力も借りられます。全文付の編集された記事、というものが簡単に作れるのですね。

既存メディアでは元データにたどり着く、ということはなかなかできません。プロの手によって編集された記事、写真、動画は力を持っていますが、大なり小なりバイアスもかかっています。バイアスがかかっていることを前提にメディアに接する、自分の判断がどのようなメディアに接したことで起きたかまで考える、これがインターネットを含めた「メディアの使い方」の教育として必要なのでは無いかと思っています。

2004 07 17 [メディア] | 固定リンク

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