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2004.08.19

ジャーナリストは機械化できるか

 以前の記事で、フィナンシャル・ジャパンの創刊に関して「マガジンではなくジャーナルを」という趣旨の文を書きました。そして、ではジャーナルとは何だろう、報道機関が良く使う「ジャーナリスト」とは何だろうか、と自分なりに考えてみました。
 その中で、湯川氏のBlog「ネットは新聞を殺すのか」に「プロとアマの垣根が崩れる中でジャーナリズムが失うものとは」という実に興味深い記事がありました。

 湯川氏の記事では、たとえば気象情報や金融分野などで情報加工販売業が商業ジャーナリズムから失われている、とあります。これらは、ネットワークの進歩により、「リアルタイムで情報源に接続できるようになった」ことが原因でしょう。すなわち、「情報を集め、加工してもっている情報源の人物に接触し、その情報を再発信する」という意味での情報加工販売がなくなっている、というように表現できると思います。

すなわち、「相手が人間であり、人間的な方法での接触でしか得られない」分野以外は現在ジャーナリズムと言われている情報加工販売業は機械化の可能性がある、と言ってよいでしょう。

たとえば、上記の例である気象情報、これはいちいち人の手を介して配信している部分は少ないと思います。アメダスの生情報が見られる、気象衛星の写真が見られる、これで判断ができるようになると単なる気象解説はいらなくなります。株価情報などもそうですね。市場の情報を書き写したりするだけであれば、これは既にネットで置き換えられています。

さらに言えば、スポーツ報道なども結果だけ、TV中継「だけ」(アナウンスや解説なし)であれば機械化可能です。ユビキタス社会の行き着く先、というのはこういうことなのかもしれません。

逆に、自然の映像でも芸術性を要求する部分では「まだ」機械化はできません。ただ、教科書レベルの構図やレンズを使った背景ぼかしなどは、今のカメラ技術の行く先では機械化できる可能性があります。

ジャーナリズムが成立する本質的な部分は、「もっといろんなことを知りたい」という人の欲求に根ざしていると思います。そして、今まではそれをかなえる手段は代理人としてのジャーナリストしかありませんでした。そして、その情報を伝える方法として新聞があり、TVがあり、そのコンテンツライターであるジャーナリストがいたわけです。

しかし現在、単純な情報はセンサーとネットによる自動収集・配信が一般化しています。ユビキタス社会となり、色々なセンサーがネットでつながる時代になれば、さらにこの状況は進み、伝えるだけのジャーナリストは存在意義を失っていくでしょう。

人は人に共感するものでありますので、伝える人の一定の役割はなくならないと思いますが、分析したり、「伝達者としてのキャラクター」として成り立つ付加価値を持たせていく必要はあると思います。

2004 08 19 [メディア] | 固定リンク

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先日、新聞に2030年までに実現可能な未来技術の話が載っていました。 その中で、 続きを読む

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