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2004.11.01

報道はだれのために

この土日に出かけている間(山形、宮城方面への職場旅行です)、週刊!木村剛で、新潟中越地震のマスコミ報道のありかたをきっかけとして、マスコミのあり方が強く批判されています。そして、メディアが自分の都合の良いように取材や報道を行っている、ということが問題の中心かと思います。

また、「ニュースバリュー」はどうやって決まるのか。その「バリュー」は誰にとっての価値なのか。全国放送をしなければならないニュースなのか。不思議に思うことが多くあります。
今回の地震で言えば、地震の発生、余震が多く起きている、どこで、というのは大切なことでしょう。ただ、新幹線が脱線した、というのはともかく脱線後の補修作業をあんなに大勢で取材したり、生中継をする必要があるか、というとどうかな、という感じがしています。埋まった土砂から助け出すところも、実況中継が必要か、とは思いません。被災者に勇気を与えた?もし全員お亡くなりになっていたら、避難所が暗くなるだけです。

以前にも書きましたが、テレビというメディアは映像にならない部分を伝えることが非常に苦手だと思います。いきおい、絵が撮りやすい、絵として多くの人が興味を持つ部分をニュースバリューのある物として捉えがちではないでしょうか(世界衝撃映像!なんて番組が典型ですね)。ただ、映像と音声を同時に伝える能力があるメディア、としてはその力を生かしきっていないようにも思えるのです。文字だけでは、音声だけでは、伝えきれない部分を動画を使うことで語ることが出来る、これがテレビというメディアの最大の武器です。それゆえに、使い方を間違えないで欲しい、必要以上に振り回すことの無いようにして欲しいと思います。

あと、各報道メディアの方々に聴きたいのですが、たとえば各企業において「広報室」が、マスコミ対策として危機管理の一環と位置付けられているのをどうお思いでしょうか?極端な話、不祥事を起こした時はいざ知らず、被害者として何らかの事件に巻き込まれたときにやってくるマスコミ自体が「危機」として捉えられているのです。今回の地震に対して、各自治体は基本的に被害者です。事前の準備がどう、というのは今後の反省材料としてあるでしょうが、天災に対して無制限の対応は技術的にも当然限界があります。それを理解したうえできちんと聞いているのか。少なくとも、現場が焦っているときに第三者としての冷静なアドバイスならともかく、単に非難するだけであればこれは有害ですらあります。

ゆびとまさんは、「(メディアは)傍観者として眺め、その内容を広く伝えることが、社会の中で生かされている理由」、と書かれています。これは間違いでは無いと思いますが、傍観者であるならば当事者の邪魔だけはしないで欲しいです。戦場で逃げ回る人を撮るならば、逃げる人、撃つ人双方の邪魔はしない、邪魔者として自分が撃たれたって文句は言わない、という覚悟をもって傍観して欲しいものです。(サッカーでも野球でも審判にボールが当たってもプレーに関しては石ころなみの扱いでしかないのと同じですね)。

メディアの真摯な報道が社会に必要なものであることは疑いようはありません。ただ、少なくとも自分達の取材活動が取材対象に悪影響を及ぼすことのないように、「透明な存在」としてどうあるべきかの努力は惜しまないで欲しいと思います


追記:旅行中に、磐越道を新潟に向かう陸自のトラックと併走しました。自衛隊をここまで頼もしく感じたのは初めてです。また、会社でボランティアに行きたい、という若者がいたので色々と知ることが出来たことを出来うる限り話していました。


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投稿者: SOBA (Aug 15, 2005, 12:06:57 PM)