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2004.11.08

情報関所が破られる時

このBlogでは、何回か過去にもメディアについて書いてきました。Blogというシステムなどのネットがなぜ既存メディアからこうも嫌われるのか、と考えてきました。もちろん、今のネット上に流れる記事に入っている「石」が多い、というのはあるでしょう(私が書いているのもその石のひとつかも)。また、著作権を無視したような違法行為もまま見られる、というものあると思います。ただ、本質的な部分で既存秩序を壊すような力を秘めているから、ということが大きな原因としてあると思うのです。

さて、大新聞やTVなどのマスメディアは第4の権力として、情報の流れを仕切ってきました。クーデターなどが起きたときに放送局を押さえることが第一目標としてあげられていることはその重要性を示しているといってよいでしょう。イラク戦争においても、米軍当局において従軍取材に徹底的な制限が加えられたことは記憶に新しいことです。

しかし、今インターネットが発達し始めると、誰でも情報を発信できるようになっています。そして、大規模掲示板などの中央サーバを持つ形ではなく、Blogなどのように確固で独立し、それぞれに論客がいる、というスタイルだとどうなるか。誰にもその制限はできなくなるのです。例えば先のクーデターの例で言えば、プロバイダすべてを押さえて発信を制限する、なんてことはどうやってもできません(NTTの局舎だっていくつあるやら。ダイヤルアップに至っては携帯があればどこだって)。

(実はIXを押さえる、という大技があるんだよね・・だからこそ、IXの分散や冗長性を持たせるということが国家的な防衛戦略の一環として重要なわけなんだけど)。

そして、既存メディアは物理的制限(新聞であれば全国紙を作っていくための投資額の大きさ、テレビであれば周波数帯の制限によるチャンネル数)により、新規参入から守られてきました。競争が無いとは言いませんが、所詮はコップの中の嵐、というレベルでしょう。

そこに、Blogという形で「信頼性が高いかもしれない」ネットが台頭してきました。さらには、ブロードバンド/常時接続の一般化、カメラつき携帯電話の普及によるどこでも撮影できる環境ができ、市民が多く発言するようになって来ました。その中には、従来ネットで文章を書く、なんてことをしなかった層も含まれていると思います。

 こうして、かなり質の良い議論がオープンな形で誰でもできるようになりました。ブロードバンドとマルチメディアのデジタル化により、写真や動画さえ載せることもできます。言ってみれば「悪さをすれば誰かが見ている」ということなのです。そして、誰もこの流れを止めることはできません。(政治力で新聞やテレビで出ることはとめられてもねぇ・・)

 一歩間違えれば、これは相互監視社会による暗黒時代になってしまいます。しかし、きちんと教育を受けた市民が間違った行いをチェックする、というレベルで収まれば、「監査と発展」が続く望ましい社会にできると思うのです(ガバナンスが効いていてかつ伸びる会社、というのと同様ですね)。これが「参加型ジャーナリズム」のひとつの形、と言えるかもしれません。

 しかし、これは情報を制御することで権力を得ている既得権益者にとっては望ましくない動きになる可能性があります。このあたりが、既存のメディア企業がネットに対して本能的に恐怖を覚えてしまうが故の拒否反応、となってしまうのではないでしょうか。

そして、よき社会を作り上げていくための教育が、あざらしサラダさんがいわれる
書き手としてのメディアリテラシー
になっていくのではないか、と思っています。(モラル、とも言いますけどね)

良い役者は良い観客がいて育つ、といわれます。そして、市民というのはこの双方を兼ね備えた存在だと思うのです。役者を揶揄するだけの酔っ払いの観客だけでもなく、誰もわかってくれなくてもいいから、という孤高の芸術家というだけでもない、お互いを意識した建設的な議論ができるように、私も努力していきたいと思います。

2004 11 08 [メディア] | 固定リンク

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