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2005.01.29

今週のニュース(1/23~1/29)

先週は飛ばしてしまいましたが、今週からまたニュースのピックアップを再開します。

1.ホログラム記録ディスク、標準化へ申請
 今の光ディスクは、表面に小さなピットを刻む形で情報を記録しています。そして、ブルーレーザーを使うブルーレイやHD-DVDは基本的には波長を短くする(今の赤色から青色にする)ことでピットをより小さくして記録する密度を上げる(同じ面積なら情報量を増やせる)ということですね。それに大して、ホログラム方式はまったく違う方法の光記録であり、より大容量に出来る可能性があるということで以前から実用化が期待されてきました。そして、いよいよホログラム多用途ディスク(HVD)として標準化が進められることになりました。容量はまず200GBです。今のBDが50GB,HD-DVDが40GBと言われていることに対してかなりの大容量となります。

まあ、映画などの発売メディアとしてはいまからまたHVDになるということは多分無いでしょうけど、PC用の大容量ディスク、またカード型の記録メディアとしてはかなり有望な可能性があります。また新しい段階になりつつあるのかもしれません。

2.社会保険庁、廃止の方向か
 細田官房長官が主催する有識者会議で、社会保険庁は解体し新組織を検討する方向で動き始めました。年金に関して無駄遣い、システムの不備が多く指摘されている社会保険庁ですが、かつての食糧庁と同じ道を歩んでいるようです。
 官庁の現業部門に関して言えば、外郭団体を含めて相当な無駄があるようです。AERAのコラムによれば、業界団体のありかたも相当ひどいようですね。最近、自分が勤めている会社にも某独立行政法人から会社員のあり方という趣旨でアンケートが来ましたが、何を目的とする調査か良くわからない内容のアンケートであり、かつ回答者にもれなく謝礼を払うから振り込む銀行口座を教えろ、というものでした。これも国から予算がでており、アンケート結果を報告することで「結果を出しました」というようになってしまうことを考えると暗澹たる気持ちになってしまいます。
 公的機関による調査、というのは必要なのでしょうが、もう少しなんとかならないのかと感じております。

3.Mac Mini、人気がでるか
 iPodの周辺機器ともとれるMacMiniが日本でも発売になりました。iPodはそのデザイン、使いやすさなどからHDD音楽プレイヤーの標準となりつつあります。そして、この使い勝手を十分に味わうには、本来の設計であるMac版のiTunesを使うほうが良いのは当然かもしれません。そして、廉価版のMacが出てきました。6万円弱ですが、スペックとしてはやや割高です。ただ、とにかく安いMacを2台目として欲しいとなるとちょうど良い選択となりえます。Appleとしては、これでMacの世界を体験して次のメインマシンとしてMacを検討して欲しい、ということでしょう。

しかし、このデザイン見ているとかつてのDreamCastやPipin@を思い出してしまうのは年寄りなんでしょうね(笑)

4.最新鋭新幹線公開
新型新幹線「N700」が公開されました。今まで最速の新幹線は最新の700系ではなく(JR東海開発)、JR西日本が開発した500系でした。今回のN700は東海道エリアでも高速がだせるように工夫されており、かつ500系のような居住性を犠牲にするようなものでもありません。新幹線の進化はまだまだ止まらないようです。
(格好よさに関しては500系が一番と思いますけどね。カラーリングも独特ですし)

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2005.01.28

大学:高等教育は誰のために

都立大学が再編成されて「首都大学東京」が出来る、というのはニュース等でちらほらと聞いていました。教員公募に対して募集が少ない、ということもあるようです。

さて、大学の効率経営、という観点で見た場合、実は理科系の方が「無駄」が多いかもしれません。私は分子生物学(いわゆるバイオ系)の出身ですが、実験系である以上どうしても人件費以外に施設費、運営費等のランニングコストがかかります。そして、「実益」に載るような論文や特許が得られるか、というとなかなかそうはいきません。

また、さらにいえば例えばノーベル賞を受賞した小柴氏のカミオカンデ。これはもともと陽子崩壊を観測するための施設でしたが実際には観測できなかった(予想よりも確率が低かったようです)ため、ニュートリノ観測施設に切り替えたものです。すごく大きいものですね。また、ハワイに作ったすばる望遠鏡もそうです。これも400億円という経費をかけていますが、われわれの経済的な面に帰ってくるか、といわれれば100年後に役立つ発見があるかもしれない、というレベルです。

で、実は研究者たちはすぐ役立たないことは百も承知で予算取りに奔走しているわけです。逆に言えば、理科系の人たちの方が予算確保や運営に苦労することに慣れているのかもしれません。まあ、物理学や化学などの理科系の方が「当たり」を引いたときのリターンがわかりやすい、という面はありますが。

で、「説得」や、「言語化」が本業であるはずの人文系の人たちの方がなまじランニングコストが低い(本人しだいですが)だけにこのような苦労をあまりしていないのではないか、というように思えてしまいます。今問題になっている経済学の系統はややちがうかもしれませんが。

スコーレが大学の本質かどうかは何ともいえません。まあ、大学という知の殿堂は必要でしょう。ただ、これが個々の大学すべてに当てはまり、自動的に必要とされるかどうかはイコールでは無いのですよね。大学は必要。でも、クビダイが必要かどうかは誰もしらない、ということで。



2005 01 28 [学問・資格] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.26

国会質問にレジュメくらいあってもいいのでは

月曜日、会社を休みにしてぼ~っとテレビをみていたら国会中継が始まり、岡田民主党代表の代表質問が行われていました。内容についてはまだ吟味していないため今は論評を避けます。ただ、思ったのは、色々と項目を並べて質問を続けていきます。ただ、非常に判りづらいのです。

岡田氏の質問演説は、声も通りますし、論理もまあ通っています。ただ、これって、「聞いているだけで理解できる人っているのだろうか」という疑問を持ったのです。

通常、会議などで質問なり討議をする際はレジュメを作ります。また、話をするにしても「何件の質問をする」、テーマが変わるときはきちんと切り替える、などの基本があると思うのです。しかし、どうも日本の国会は「話をした」ということが大事で、それで討議をした、ということについては重要視されていないようです。

先にあげたレジュメについても、民主党のホームページを見ましたが過去の質問内容、応答結果、意味の検証など「効率的な討議をしよう」という意思があまり感じられません。PDCAが回っていないのですね(独自の議事録くらい作ってもいいのに・・ビデオもネットでいつでも参照できるのだから)。

国会は言論の府であり、言葉によるものが大切ということのはずなのですが報道各社が作るというものではなく、自分たちで「今回の質問とこれに対する総理の応答」、「応答に対する対案」を行うことが基本と思うのですがねぇ・・

自分たちの活動報告として「何とかを質した」しかないのでは理解を深めていくことにはならないと思っています。

特に、野党は挑戦者なんだからもっとチャレンジングなことをしないと受け入れられないように思えるのですが。


(本エントリは週刊!木村剛への投稿でもあります)

2005 01 26 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.24

法治の意味を教育しよう

日本の国は三権分立となっています。この三権は立法、行政、司法であり、最高機関は立法機関である国会であると憲法に規定されています。

ただ、雰囲気として国会議長よりも行政機関の長である総理大臣である方が偉い、という見方が強いように思えます。行政組織は法律に規定されていないことはできない(ことになっている)のに、です。

これは、かつての「お上」において行政と立法が分離されておらず自分たちの好きなように規則を運用している、という要素が強かったからでしょう(実際には決まっていないことを裁くことは江戸時代でも出来なかったようですが)。むしろ、規則自体を知らされておらず何をやってよいか、なにをやってはいけないかを知らされる機会が無かったことの影響が強いように思えます。

さて、現代に戻りまして、金融システムの崩壊の可能性が生じました。そのひとつとして日本長期信用銀行(長銀)の破綻があります。
 そして、当時役員だった箭内氏のコラムで、大蔵省(当時)の指示に従っており何の問題も起こしていないと思っていたが、検察官に六法全書を示され、そこにある商法の記載をすっかり忘れていた、という記述がありました。法律という明文化されたルールに則って活動をするという基本を大銀行の役員でも意識していなかったのです。

 このことから、いくつかのことが示唆されていると思います。まずは、行政による裁量の大きさです。法的根拠は確かにあるのですが、行政当局の裁量範囲はかなり大きく取られています。そして、その結果として法律よりも行政の方向を向いて行動しがちということがあると思います。
 次に、法律は自分たち(国民)が決めることということをつい忘れてしまいがちということでしょう。今の法律はまだ明治時代に作られたものも生きており、その観点からは自分たちには関係ない、という意識になりがちです。しかし、立法権が国会にあり、国会議員は選挙によってのみ選ばれるということを考えると「自分たちで法律を作り、それを自分たちで守る」ということが法治国家の前提である、ということを改めて考えざるを得ません。

 これらをあわせて考えていったとき、例えば普段の暮らしで法律についてきちんと学んだりする機会というのがあまりに少なすぎるように思えるのです。規則について行政(役所)に行ったり、行政の運営について議員に陳情したり、というのは本来は逆なんですよね。

 六法全書が各家庭にあるという必要は無いと思いますが、「自己責任」を基本とする社会にするのならば社会の基本ルールである法律について、誰が決めて、誰が変えて、何が適法で何が違法か、ということを知る、少なくとも何を読めば判る、ということくらいは基礎として学んでおく必要があると思います。

(自分で決めたルールは自分で守ろう、というのが民主主義国家における法治主義ですしね)

(1/25追記。本エントリは週刊!木村剛への投稿をかねています)

2005 01 24 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

週末スキーに行ってきました

先週の土日に新潟にスキーに行ってきました。上越の石打丸山スキー場です。当地は設備その他に関しては地震の影響もなく、滑りを楽しむことができました。

しかし、現地に行って思ったのはスキー(ボードも含めて)人口の減少です。10年以上前のブームの頃は、平日に行ってもリフト待ちは当然、ゲレンデは芋洗い、駐車場は入れない、関越は渋滞が当たり前だったのですが、特にリフト待ちも無く、昼食もそんなに順番を待つ必要も無い、高速も別段渋滞していない(昨日は事故渋滞はありましたが)、という状況でした。

 まあ、本来スキーを楽しむ人口はこんなものだった、という考え方もできます。バブルがはじけてしまった(ブームだからスキーやボードをした、という人がいなくなった)ということでしょう。今は昔からの愛好者にとっては滑りを楽しめるという点では良い時期ともいえます。

 ただ、雪国の数少ない地場産業だけに、衰退するだけでは愛好者にとっても良くないことだと思っています(私も行くスキー場が無くなるのは悲しい)。

 ではサービスを良くして客を呼ぶ、というのも一つでしょう。設備投資がいるケースもあるでしょうが、ソフト的なカイゼンの積み重ねも重要だと思います。

例えば、どうせ稼働率が低いのだったら1泊も通常の15時~10時ではなく冬季は5時~14時に滞在時間を増やすとか(その分の幾分の割り増しは取れる可能性はあります)、駐車場や階段の除雪はまめにやるとか、自販機の値段は市中なみにするとか(高くするから持込をされる、という考え方があってほしい。同じだったら中で買う)。家族連れにとっても、子供料金は取らない、というくらいの大胆な発想があってよいと思っています(またはファミリーパックとかね)。

良かったこともありました。以前からあったのでしょうが、ゲレンデの中でも焼肉が食べられる食堂があるとか、リフトも一人用の列を別に作って稼働率を上げようとしているとかの工夫が見られました。また、ボーダーにとっては色々な設備(ジャンプ台やパイプなどがそろっておりスノーパークとして遊べる)。

石打丸山は関越のインターから5分でいけるという、地理的にはとても恵まれた場所にあります。街も古くからのものであり、ホテル内部しか行く場所が無いということもありません。ただ、その分あぐらを書いている要素があるように思います。せっかくの魅力あるベースがあるのですから、これを生かして今のスキーバブル崩壊に対処して行って欲しいと思います。

今年はJAL×JR×ANAでJAPAN SNOW PROJECTとしてスキーをするダチョウが3羽に増えています。これだけ旅行各社の危機感も強い、といえます。地元の中で小さな争いをするのではなく、全体が高めあってリゾート地のレベルを上げていくようになって、客を呼べるようになってほしいと思っています。


2005 01 24 [スポーツ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.20

冷静な観察者として

私のバックグラウンドはどちらかといえば「理科系」です。そして、科学的な目として「客観的な観察」「先入観を持たないこと」を教育されてきたと思っております。さらに言えば、事実を素直に受け入れること、数字はそのまま見ろ、ということでもあります。

ジャーナリズム、という場合、基本になるのは「社会的事件の観察と明確化」でしょう。事実を調べ、関係を明らかにし、裏づけをとる。この繰り返しになります。

ただ、取材相手も同じ社会に生きる人間である以上、超越者としての観察はできません。どうしても関係を保ちつつ、ということになると思います。そして説得の手段の中には社会的な意義を説いたり、言ったほうが有利になるから、というものもあるかもしれません。どちらにしても話をさせるのは大変なことになるでしょう。

そして、この話の中で、事前に物語を組み立てて取材をしている、ということが無いでしょうか。締め切りに追われるのは判りますが、裏づけ取材、という名の下に決め付け取材になっていないか。裏が取れなかったから仮説を否定して、記事にしない、という勇気をどこまで持てるか。実務として当然行われていると思うのですが中には勇み足も過去に何度かあったと記憶しています(沖縄のサンゴ礁に自分でイニシャル書いたとかね)。

完成度と速度の両方を求めていくのは大変ですが、少なくともネット記事では「速報」、「未確定記事」というのもありになりつつあります。デマが許される、というわけではありません。しかし、正直である勇気は常に持ち続けなければならないと自分に対しても思っています。


(本エントリは、週間!木村 剛へも投稿しております。)

2005 01 20 [報道] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.18

不偏不党は成立しうるか

以前、「ジャーナリズムは社会を動かすようになるべきか」というエントリを立てました。このときは、グーグルニュースの始動、野球での読売や文春の動き、そしてBlogに対する既存マスコミ側の動きなどの反応を受けてのエントリでした。そして、今回のNHK騒動です。

NHKに対して本当に圧力をかけたのか、圧力があったから番組が変わったのか、という点については私は検証する手段も証拠もありません。NHKと朝日新聞、そして名指しにされた安倍、中川両代議士の発言をメディアを通じて見ているだけです。ただ、今回の構図は色々な問題をはらんでいると思います。

1.放送法にいう「公正、公平」はどうやって担保しうるのか
 今回問題になったテーマは第二次太平洋戦争の「責任」をどう問うか、という形です。このテーマは当事者が多くおり、それぞれの立場や意見があるため それこそ宇宙人でもつれてこないと客観性はどうしても下がってしまうでしょう。その上で、誰がみても「公正、公平」といえるような状況はあるのか。裁判をして裁判官が番組の内容について「公平、公正」を判定するのか(この場合は作っている過程やスタッフの内容ではなく、放送された(もしくは放送されようとした)番組の内容について判断すべきでしょう)。誰が見ても判断は無理なような気がします。特に政治家には。

(個々の番組ではなく、シリーズとしての編成で公平性を担保する、というやり方もあるようには思えます。この場合は、「番組」の定義を拡大しているわけですね)

2.政治家が「意見」をいうことは圧力なのか
 これもまた難しいところです。言論の自由があり、法律を確認しただけ、という見方は出来ます。ただ、通常意見の相違があるところに利害関係者が相手に対して発言する際には注意が求められる、ということは一般的に言えるとおもいます(先の事件で両代議士が言った、という前提には立っていません。念のため)。

3.特定の政治意図を持って番組は作れないか
 さて、ここで「放送法」の問題が出てきます。
少し条文を見てみましょう。
(国内放送の放送番組の編集等)
第三条の二  放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

まあ、当たり前のことが書いてあるとおもいます。何も具体的ではないですが。ただ、どう見ても政治的な意図を持った番組、というのは作れないですね。

ここで、では放送法に定義されない紙メディア、ネットではどうか、となります。当然、偏っていて良いわけです。でなければ政党の機関紙は発行できませんから。

そもそも、放送についてなぜこういう定義が必要かというと、放送局が限られた資源である電波を使っており、割り当てが免許制だから、という理由が大きいでしょう。紙メディアのように何社あっても関係ない、という状況では制限すること自体が表現の自由などを保障した憲法に反しますから。しかるに限られたチャンネル数しかもてない電波メディアでは影響力が大きいが故に中立を求めざるを得なくなっています。ですので、ケーブルなどを使って多チャンネルを展開する場合には「自民党チャンネル」「共産党チャンネル」があってもなんの不思議もありません。

しかし、現実を見れば地上波キー局各局での政治的な色分けは個性レベルではありますが割りとはっきりしています。母体である新聞各社の色分けと同様ですね。

私自身は冒頭に挙げたエントリに書いたとおり、「報道」であるならば無味無臭でよい、個性を出すならば最初から明示しろ、という立場です。自分の立場を中立のようなふりをして社会を動かそう、というのは少なくとも「報道」ではない、と考えています。そうでもしないと権力の側に攻撃される隙を作り、権力を監査するという目的には合しないと考えるからです。

権力の側がマスメディアを使って世論操作を仕掛ける、というのは宣伝省を置いたナチス・ドイツの例などいくらでもあります。旧日本軍も当然やっていましたし、イラク戦争での従軍記者に対する米軍の制限の仕方などもありました。ただ、民主国家にとっては意見を自由に言えること、権力は監視されているということが逆に国力の源泉となりうるとおもっています。民間企業でもそうですが、緊張感を失った経営者はどうしても手を抜きがちですし、結果として経営能力を失っていくからです。

オートマチックとはいかないでしょうが、より「クール」な眼を報道においては気をつけて持つようにしたほうがよいとおもっています。

2005 01 18 [報道] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.16

経営者は十分もらっているのか

青色LEDは、発光ダイオードのうち光の3原色の最後の一つとして開発が望まれていましたが、中々出来ませんでした。これを窒化ガリウムを使って開発したのが日亜化学と当時社員だった中村氏(現サンタバーバラ大教授)です。
「出来たらすごい。無限の可能性がある」と当初から言われていただけに、日亜化学もチャンスを生かして順調に業績を伸ばしました。その上では、中村教授の開発の貢献度が大きいのは確かです。ゼロを1にするのは大変ですから。

ただ、その後中村教授と日亜化学との間で意見の行き違いがあったと思います。そして、中村教授は会社をやめ、残った特許権に関する報酬について訴訟を起こし、先日高裁で和解が成立しました。

ここで問題になるのは金額もさることながら「技術に関する経営層の関心と理解」だと思います。種を生むのは技術者の仕事ですが、この種がどんな花を咲かせるかの「ビジョン」を語り、夢を共有していく、というのが技術者にとっての理想だと感じているからです。

「夢の共有」がここでのポイントでしょう。経営者側にも当然言い分はあると思います。出来た種を育てていくための環境作り、銀行への説明、事業化の指揮など大変な仕事がまっています。しかし、ここで経営者はどれだけの報酬を得ていたのでしょう。地裁では利益の貢献度の半分が特許による、との判決でしたが、では経営者の貢献度は、という問いかけはされていません。こう思われている経営者の方は多いように思います。

もちろん、技術者を軽視してよい、ということにはならないと思います。中村教授の言うとおり、今まで都合のよいように使われてきた、というのが大多数でしょう。管理側というだけで手柄を持っていってしまった、という事もあったかもしれません。

結局のところ、十分な技術があるならばベンチャーとして独立する、というのが間違いないでしょうし、お互いに利益があるように思います。ただ、これが日本ではあまりうまく行っていないという原因の一つに、経営側(または融資する側)が技術を理解できない、技術から出てくる夢を共有できない、夢を現実化するための能力に欠けている、という事が言えるように思えます。

また、技術者の側も単にこういう技術が出来ました、というだけでなく最初から事業化を見据えた開発というのは必要でしょう。

技術者の側もスポンサー(経営側)に対する説明責任を負い、経営側も技術者に対して経営計画に基づいた投資とリターンを行う、ということが要求されるようになった、という事が今回の事件で得られた教訓だと思います。そして、経営者も同様に、自分が指揮した計画に基づいてこれだけの利潤が上げられたのだから応分の報酬をよこせ、と言っても良い時代になったと思います(逆に言えば説明できない経営者はなんだ、ということになりますが)。

2005 01 16 [科学、学問] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

今週のニュース(1/9~1/15)

今週も気になったニュースを取り上げて行きます。

1.ソフトバンク、ツーカーの買収で携帯事業参入か
 電波の割り当てについて800MHz帯の開放を求めて総務省に行政訴訟まで起こしたソフトバンクですが、KDDIグループのツーカーセルラー3社の買収を試みていることが判りました。ツーカーは現在はKDDIグループの一つで1.5GHz帯の電波を使い、2Gのシンプルなネットワークを特徴としています。そして、全国サービスとしてはボーダフォンとローミング、という形でやや変則的な形になっています。ここにソフトバンクが買収で参入となると従来の護送船団的だったケータイの世界にも、固定電話の時にあったような大激震が起こる可能性があるでしょう。

ひとつはボーダフォンの行方です。昨年は親会社に振り回され3Gの普及に遅れたために写メールで作ったアドバンスをすっかり食われてしまいました。昨年末から今年になってやっと3G機種の本格投入がされましたが、GSMとのトライバンドくらいしか目立った特徴が無くドコモ追撃は難しいところです。ここでソフトバンクがツーカー買収をきっかけにボーダフォンも買収、という可能性があります。そしてソフトバンクが本格的に入ってくると、今既に少しは展開しているYahoo!モバイル(無線LANによるネット通信)とセットモデルを投入してくる可能性があるでしょう。そして、無線LANでのネットワークとYahoo!BBへの固定電話への通信ならば今の料金体系を破壊するかもしれません。(無料になるか、月額固定か・・・)。今はBB Phoneでの携帯への料金は実は高い部類に入るのですが、ツーカーをとっかかりにまた業界最安値、という形で通信最大手になる可能性もあります。その先に何があるかはまだわかりません。しかし、NTTもKDDも絡まない形での通信会社が始めて大手になる、つまり国策として作られた以外の会社が出てくることになります。政治も含めて、動きが注目される状況だと思います。

2.米沢市の入札会場で業者が談合を「自白」
 米沢市の「文化伝承館」の改修工事の入札会場で、市の担当者が入札結果を読み上げたところ入札した1社が「私の順番のはずだ」と意義を申し立て、談合を認めました。会場で言う方もどうかしている、という気がしますが、建設業界に談合体質が深く残っている証拠と思われます。まあ、国際政治における権謀術数のことを思えば企業の談合はかわいいもの、とも思えますが税金の公正な使い方を考えると関係者以外の納税者に対して損害を与えている、ということでやはり問題であると思います。

ただ、同時に入札業者について「その地域限定」ということをやっているところが多いため、競争体制が中途半端、とも取れるのですよね。こうなると競争相手が変わらないために談合も起こりやすくなると思います。経営の体質強化、ということを考えると小さな地域エゴにとどまらず他の地域の仕事も取りに行けるくらいに鍛える、という事が必要なのでしょう。そして、これを嫌って自治体同士が話し合って、とやるとこれはすなわち談合となり、競争が発展しない、ということになると思います。(水道工事がもろにこれなんだよな・・認可を都道府県レベル、そして隣接した都県の相互認証による広域化を図るくらいでないと競争と体質強化は進まないと思うのだが・・)

3.英国民、約半数がアウシュビッツ収容所を知らない
 イギリスのハリー王子が仮装パーティでナチスの軍服を着てしまったことがばれてしまいました。
(写真はSUN誌の1面)
そして、同時期にBBCが調査したところイギリスではアウシュビッツ収容所を半数近くの国民が知らないとの結果が出ました。少し意外です。ただ、日本でもやはり現代史についてはあまり威張れた状況ではなく、あるメルマガでは高校の歴史の授業で生徒に聞くとやはり知らない、という意見が多く帰ってきたとの記事があります。
今年は敗戦から60年になり、既に前世紀の戦争という形が明確になってきました。ただ、現代史については事実に対する価値判断に多くの相違する意見があるのはわかりますが、最低でも「起こったこと」についてはきちんと事実として認識していくような方法が無いものか、と思っています。
(私の考えは、先の戦争については「負ける戦争をしかけちゃいかん」「負けたらその責任は問われるべき」いうものです)

4.土星の衛星、タイタンの地表に着陸
 タイタンは衛星では非常に大きく大気があることで地球や火星に近い環境です。そこにNASA、ESA共同の探査機が着陸し映像を送ってきました。

地球以外の環境データはまだあまり揃っていないのですが、他と比較することで色々と面白いことが判ります。今後の結果もまた楽しみにしたいと思います。

2005 01 16 [ニュース] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

ネットワーカー13年

先日(1月14日)、ニフティから入会13年目のグリーティングメールが届きました。モデムに付いてきたスターターキットを使ってオンラインサインアップをしたのがつい昨日のように思い出されます。

ニフティの沿革はこちらにあるとおりで、来年は設立20年になります。私は最初期ではなく、最初のブームが始まった頃に始めましたのでパソコン通信に関しては世間的にある程度のノウハウがたまり始めていました。雑誌などでも色々な記事があり、各地の草の根BBSが運営をはじめ、それらを集めた電話帳がNTTから配られたりもしました。

そして、94年頃からインターネットに繋がるようになり、Webなるものがあることを知りました。当時はまだテキストベースでしたのでtelnetでアメリカにつなぎ、SFの翻訳されていない本を入手したりもしたものです。まだAmazonが出来る前でした(*1)。Telnetでしたのでなかなか苦労があったのですが、表示されるあらすじを読みながら注文したものです。また、AsahiNetにはWeb画面をテキストのTTYでも使えるようにするサービスもありましたのでこちらを使って文章だけを見ながらリンクをたどっていった、なんてことも古い思い出です(*2)。

そうこうするうちにWindows95が発売になり、Netscapeの普及、OSR2によるIE3のバンドル(ジャストシステムによるブラウザなんてのもあった)を経て、今のブラウザの普及状態にたどり着きました。

ネット企業で言えば、NTT.jpが最初は企業内有志によってインターネットのアドレス帳として運営されていた、なんてのは最近の人には信じられないでしょう。Googleはおろか、Yahooの登録も少なかった時代です(*3)。

また、先のネットでの販売で言えば、私は航空チケットの販売を良く使っていました。また、JRのサイバーステーションもかなり古くからあるサイトです。ちなみにここのトップデザインは当時からまるで変わっていません(1997年のcopyrightのままである)。

また、95年の阪神大震災、昨年の新潟地震やインド洋大津波でもネットのあり方は変わってきました。95年当時でも、ニフティなどのコミュニティがボランティア活動に役に立ちました。これが今はインターネットという形でより普遍的になっていますし、「まずネット」という人が増えているように思えるのです(*4)。

そして、ブロードバンドの始まり、YahooBBに半年待たされたり、2000年問題なんて騒ぎがあったりして昨年の楽天とソフトバンクのプロ野球参入がありました。これでネット関係事業が一つの区切りを迎えたのではないか、と思うのです。つまり、一部のマニアが使うものから一般に普通に認知される企業であり、インフラである、というように。

今後を考えていくと一つの鍵を握るのは「テレビ電話」の普及ではないか、と思うのです。というのも、ネットへのインターフェースとして今のPC用のキーボードとマウス、というのは家庭で普通に使うにはまだ敷居が高いと思うのです。特に言葉を入力するためのキーボードが。そして、自然言語認識が発達して音声入力をするにしても、相手がいないと話しにくいのが人間です。しかし、画面にバーチャルロボットキャラクタがいて話しかけて検索をしたり物を買ったりする、というのであれば比較的簡単にできるでしょう。そして、このインターフェース用の機器として普及する可能性があるのが「TV電話」だと思うのです。

実は、今の音声電話でも相手がコンピュータでガイドに従ってプッシュボタンを押す、というのはかなり多くなっています。これが画面を見ながら何番、この検索、いつの切符を、ということが可能になればネットの普及は一気に普遍化するのではないでしょうか。そして、この状態に慣れるためにはテレビ電話の画面に話しかける、ということが普通にならないといけないと思うのです。

そして、この次に出てくるのが「政治とネットのありかた」でしょう。今はまだ政治家と言われる人たちがネットに慣れていないためまだ無視されているような状況ですが、10年もすればメールも打てないような人はほとんどいなくなると思います。また、世間でも前述のTV電話システムを介したネット利用が進めば、今の電話並みに普通になっていくでしょう。

2010年頃、どんな形になっており、このBlogの内容を見直すことになるのか、楽しみにしていきたいと思っています。

*1:当時愛用していたのはBooks.com。今はBarnes&Nobleに買収されている。
*2:当時はX68000を使っておりWebブラウザは無かった。他のPC-98ユーザも多かったため、このようなサービスが成立したのである。
*3:検索サービスが貧弱なものしか無かったため、リンク集をたどっていく方が一般的だった。検索エンジンの歴史はを参照。
*4:ニフティ内に専用のフォーラムが出来たり、無料でつかえるような体制を取っていたと記憶しています。寄付もニフティ経由で出来ました。



2005 01 16 [ウェブログ・ココログ関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.14

都市はアミューズメントパークとして存続するのか

今日の日経流通新聞のトップは、ホームセンターの「コメリ」が、農村のコンビニを目指して店舗展開をし、JAに対抗できるようなネットワークを整えつつある、というものでした。ここでは、単なる販売業ではなく、金融、産品販売までふくめた「農村サポート」を中心として業務を拡大している、という内容です。

ここでは、農村という地域が変わりつつあり、農協という古い組織に対して民間から新たにサポートして利益を上げるような企業が出てきた、ということを注目してみたいと思います。

従来は、農村は利益が上げられず、また産品を現金化するためにも特定の市場、流通組織を通さざるを得ず、さらには資材購入まで自由が利かないことが多くありました。アメリカ型の大型ホームセンター、食品流通も含めたスーパーセンターの台頭により、ある程度安価に購入も出来るようになりましたが、産品の販売は一部の先進的な農家がネット販売を手がける程度でした。

しかし、民間の小回りが聞く業者が「コンビニエンス」を合言葉として入ってくることにより、競争関係が生まれ、従来の農業資材の流通の不合理さも直りつつあります。これらが進むと、自家生産が出来、安価に各種買い物が出来、住居環境が良い地方都市の魅力が増してきます。

さて、最近都心への住居回帰現象がよく言われます。リタイアしたシニア層を中心に都心のマンションなどに住居を移す動きがあります。そして、この動きの理由の一つにコンサートなどのエンタティンメントの類が充実している、という事があるように思えます(医療機関が多い、公共交通機関が発達しているという理由があるのは目をつぶっています)。今は、地方から出てきて都会で稼いでリタイアする際に都心に、というパターンではないか、と思えます。となると、都会の意味はまるでディズニーランドのような「楽しむための別世界」という事が重くなってくるのではないでしょうか。そして、観客としてのリタイア層と、スタッフとしての労働者層、ということです。

この意味で、地方においてはサービス業が発達することで地産地消がうまく回るようになり自立が出来るのですが、都会は娯楽の生産基地としての要素が大きくなるように思えるのです。

地方(と言われていたところ)が単なる食料などの生産基地から脱し、ネットなどの武器を得てある程度自立できるようになったとき、都会と言われていたところがどうやって存在意義を見出していくのか、一つの方向性があると思います(京都都心のようにね)。

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2005.01.13

クールであり続けること

アップルの決算が発表され、iPodの売れ行きが貢献し、過去最高益を記録しました。昨日まで開催されていたMacWorldでもiPodの新製品が発表され、現地でも大きな反響だったようです。

さて、コンピュータメーカーとしてアップルを捉えるのは世間の見方のようですが、製品としてみればMacよりもiPodの方が売れているのが現状です。では、オーディオメーカーなのか?これも違うでしょう。

では、Appleは何の企業なのか。(デジタル技術による製品を通じた)「生活デザイン企業」というのが正しいのかもしれません。

iPodにしろ、Macにしろ、技術として見ればものすごく先進的、というわけではありません。ただ、「洗練された」という言葉はApple製品を形容する際、最もしっくり来るように思えます。すべての製品に一貫したデザインがされており、そしてこれが製品の品質にも反映しているからです。

デザインということを考えたとき、見た目はもちろん大切です。ただ、さらに言えば「見た目」から想起される機能をきちんと実装しているか。見た目から使う状況、使っている自分をイメージできるか、ということまで含めて「デザイン」だと思うのです。そして、これが一環していったときに「ブランド」として成立すると思います。

パーソナルコンピュータとして考えても、Apple製品は最初のApple、AppleIIの時代からデザインにこだわってきました。AppleIIcは今見ても格好よいと思います。

その後、しばらく低迷の時代が続きました。しかし、最近のAppleは再び輝いているように思えます。そして、クールであり続けること、Apple製品を使うことがクールであると感じさせることが生き延びてきた秘訣だと思うのです。

PCとしてみれば日本企業はOSの開発力は失ってしまいました。しかし、家電で言えばハードとソフト双方で一貫した「デザイン」が可能なはずなのです。しかし、現状はAppleほどのデザイン力は持てていません。単一製品では良いものがあっても、次世代に続かなかったり製品群としてのブランド形成にまでは達していないと思います(まあ、これは日本企業に限った話ではないですが)。

Appleで言えば、Steve Jobsというカリスマあっての「クール」という見方は出来ます。ただ、クールであり続けようとする努力もまた必要なのだと思うのです。

妥協しないでデザインを続ける、製品としてすべてにリンクした「世界」を作り上げる、それだけのパワーと努力あっての現在のiPodを中心としたAppleの輝きがあると思っています。

2005 01 13 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.11

支配者層が技術を意識するのは史上初?

戦争はテクノロジーの争いである、という面は確かにその通りだと思います。古くはアルキメデスの鏡、そして鉄砲の導入が戦闘の姿を変えたという面は大いにあります。ただ、日常において「支配者」が意識してきたのは「人が人を支配する」事であり、テクノロジーを日常的に意識しながら考えていく、ということはあまり無かったのではないかと思います。

さて、最近は、MOT(Management Of Technology)という言葉が流行っており、技術経営、という見方が必要といわれています。IT化が重要である、との話も多く出てきています。しかし、政治を含む「経営」という面では、テクノロジーをツールとして役立てていく、という発想は今まで無かったのではないか、と思えます。「帝王学」には権謀術数や支配者としての人の操り方、基本的な数字の読み方はあっても、技術変遷の読み方、というのは無かったのではないでしょうか。

しかるに、現代はテクノロジーの時代です。自分の勢力に属する技術レベルをどう制御してあげていくか、どう方向付けしていくかは経営者の重要な役割になってきました。しかし、今まで習ったことの無い経営者は困ってしまいます。だからこそのMOTとなるのでしょう。

ジャーナリズムにおいても、技術に関する雑誌が一般的になってきたのはコンピュータ雑誌関係が初めてではないでしょうか。それ以前にも専門誌、というのはあったでしょうか書店でどこででも見かける性質のものではありません。しかし、コンピュータ関連の雑誌は一つの棚を占拠するくらいの大きさで、ビジネス誌と同じくらいの量があります。

人を支配するだけでなく、技術をも管理しなければならないというのは経営者にとっては大変な時代になったのでしょうが、逆に技術には恫喝も脅迫も効きませんので合理的な思考が重要視される点で、支配ということ自体も良い方向に向かっていると思えます。特に民主主義の政治においては、支配者側が合理的に動けるかどうかは民衆の側にとっても、そして民衆が支配者を選ぶに当たっても合理性が尊ばれる事が社会の過ちを減らしていくことに役立っていくと思うからです。

ヒトが動物である以上、群れを作る習性からは逃げられないでしょうが、その中でも少しでも理不尽な事を減らしていける社会にするための方向付けとして、合理性が重要となる技術を重要視する思考が普及することが変化のきっかけとなれば、と思っています。


2005 01 11 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.10

経済政策はIT化された市場に追いつけない?

昨日のTV番組(サンデープロジェクト)で宮沢元総理が出演し、今後の経済運営などについて意見を述べていました。詳細は特に覚えていないのですが、いくつか気づいた事として、「四半期の成長率」とか、「昨年の成長率」などという言葉が出てきて、少し違和感を覚えました。また、その前の木村剛氏らの出演したパートでは、民間企業が元気、というのは個別企業で見ていくべきものではないか、とも言われていました。

ここでの違和感というのは、経済成長うんぬんを四半期や1年、という単位で見てよいのか、ということです。例えば昨年末の東証終値、ということで年末の終値をピックアップして見ていくというのは10年単位で見て行く分(歴史的見地)では使えると思いますが、政策レベルでは到底使えません。さらに、企業の経営には「役に立たない」と言ってもよいのではないでしょうか。

また、よく「平均値」という言葉が出ますが、「平均値=代表値」とある程度いえるのは分布が正規分布をしている時です。年収などは単純平均ではなく、例えば中央値やヒストグラムを作った最頻値を使うべきなのですが、報道での平均値信仰はなくなっていないように思えます。

さらに、「決算」というのも難しいものがあります。粉飾とは言わなくても、企業活動は日々変化しています。例えば在庫量一つとっても、年に1回の決算棚卸時の数値だけ見ては正しく捉えることは出来ないでしょう。では年平均、というようにしても今度は変動の振幅はどうか、さらには変動速度はどうなのか、ということまで本来は捕らえるべきと思えます。

現在のIT化は、日々決算を十分可能にしています。24時間駆動している企業では、時間単位、分単位だって理論上は可能です。つまり、今まで年に1回写真を撮ることでしか見られなかった状況から、動画のビデオカメラ据付、というレベルにまで進化していると思うのです。そして、実際に企業の行動はこれらの高速で変化する状況に対応して利益を挙げようとしていると感じます。

となると、経済市場の実態の捉え方としては今まで言われていた観察方法や指標の作り方では間に合わない、と思います。にもかかわらず、政府関係から発表される数値や指標はせいぜい月単位ということで50年前の指標とあまり変わっていないのではないでしょうか。

マクロ経済政策はミクロにいちいち反応するものではない、と言われそうですが、ミクロの集合体がマクロであり、「神は細部に宿る」という言葉もありますので、大枠は変わっていなくても内部での行動が全然違ったものに変わっていれば従来の政策が通用しなくなるのは当然と言えるでしょう。

政府部門だけが今までどおりの時間単位で考えてよい、というのは21世紀の今、間違っているように思います。

2005 01 10 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

2005.01.09

今週のニュース(1/2~1/8)

今週も気になったニュースを取り上げて行きます。

1.1インチ角に3ペタビットの情報を記録
 大昔、個人用のコンピュータの記録媒体がカセットテープだったことがありました。その後、フロッピーディスクが普及、キロバイト単位の記録でした(5インチ片面320キロバイトですね)。
 その後、FDは1メガ化し、ほぼこれで止まりました。ハードディスクも、最初の頃は10メガバイトくらいが普通、40Mで大容量、100Mなんて夢なんて時代がしばらく続きました。メインメモリも1Mがやっと、2MのRAMディスク、なんて1枚のボードを挿していた事を思い出します。今の1000分の1ですね。
 で、今は光ディスク、磁気ディスクはギガの時代になっています。それでも映像メディア、それもHDクラスになると不足気味となりつつあります。
 今回、パイオニアは一気に今の100万倍のペタビット単位の記録メディアが可能になるメディアを開発中、と報道されました。これはHD記録の映画も10万本入るレベルとなり、さすがにもう十分ではないか、と思いたくなる容量です。しかし、冷蔵庫の法則はここでも有効で、「容量はいくら大きくても残りは一定」となるように思えます。例えば今のHDはMPEG2圧縮をかけていますがこれを無圧縮で入れるとか、これが現実化する頃には3Dデータを直接放り込むようになっているとか、あればあるだけ使うのが人間の欲望、という気がしています。
 先の昔話をしていた頃は、ギガバイトなんて一生かけても使い切れない、なんて思って今したが実際は2時間映画も入らないのが現状です。容量が大きくなれば転送速度も問題になりますので、新しい技術が色々と出てくるのが楽しみのように思います。

2.奈良などで使われた偽札作成者逮捕、PCで偽札作成
 正月でにぎわう露天等で使われた偽札を作った疑いで奈良市の男性が逮捕されました。一般のPCやスキャナ、プリンタで作成したようです。通常のカラーコピーは紙幣を認識してブロックするソフトを組み込んでいますが、汎用のPCやスキャナには入っていません。ですので、レベルはともかくコピーすることは比較的簡単です。カリオストロ伯爵が見たら泣きそうな低レベルですが、社会的な混乱は否めないでしょう。偽造を防ぐに一番簡単なのは製造コストを思いっきり上げるのが確実なのですが、現実的ではないですね。
 ところで、1万円の紙幣を作るのに1万円かかるようなシステムとした場合、国家のバランスシートにはどう影響するのでしょう?紙幣量を一定に維持する(廃棄分だけを補充する)では、コストがそのまま損失につながるようにも思えますし、紙幣量を追加で増やしていけばバランスするようにも思えるのですが・・素人考えですよね。


3.米ポラロイド社、売却される

 インスタントカメラの代名詞足るポラロイド社ですが、450億円で投資会社に売却されました。現像処理がいらないカメラとして長らく君臨してきましたが(ライバルはわずかにフジで出ていた程度)、デジタルカメラにその優位性を奪われた形です。デジタルカメラに液晶ディスプレイをつけたのはカシオのQV-10を始祖としますが、この時点ではコミュニケーションツールとしての機能はあまり考えていなかったと聞きます。ただ、写真を何のために撮るのか、ということでは記録するため、ですがその記録の目的は、というと仲間内のコミュニケーションだったりします。芸術的な作品作り、という形で写真を撮ることはずっと続いていますが、その瞬間が静止画として確認できれば良い、という短期的な発想の画像固定というのはデジタルカメラ以降のものでしょう。これは動画クリップとはまた違う、ということで静止画ニーズも結構あるのだな、と最近再認識したところでもあります。

4.冬ソナ専用機、離陸
 要はツァーのチャーター機なんですけどね。1機まるごと使うレベルまで増えてしまった、ということでしょう。ドラマとしては2002年のものですし、日本で最初にブームになったのは2003年、チェ・ジウに会うツァーが実はあえなかった、と騒ぎになったのも2003年の暮れですのでいい加減終わるかと思っていたブームですがまだ収まっていないようです。まあ、これで韓国に対する必要以上の警戒感や反応がなくなり、普通の隣の外国として付き合えるようになれば、とも思えます。

2005 01 09 [ニュース] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.07

千葉国成立の要はなに

既にあちこちで話題になっていますが、毎日新聞の今年の正月ネタとして「千葉国が誕生」というのがありました。日本の自治体の経済力はヨーロッパの中規模国家に匹敵する、というものです。

同様の考えは神奈川県選出の河野太郎衆議院議員も思っていたようで、神奈川県の「国力」がオーストリア並みにはあるのでは、ということを示しています。まあ、以前にもこのBlogで書きましたとおり、中央にぶら下がって生きるのではなく主体性を持って生きることで日本という国全体がパワーアップできるのでは、ということが肝だと思います。主体性があればもっと強くなれるように思うのですが。

中央も地方を下に見るのではなく、各地方のためのスタッフ機能、という程度の方がうまくいくように思えるのですけどね・・ラインよりもスタッフの方が責任はないのに権力が強くなってしまうというのは旧日本軍の参謀本部からずっつ続く伝統でしょうか(古くは平安時代の摂政・関白までたどれるかも)。

トヨタ生産方式があちこちで話題になり、その強さの源は、と言われますがどの記事を見ても源泉にあるのは「各個人がそれぞれカイゼン意識を持つこと」とあり、上から押し付けるものではない、とあります。となると、一番このトヨタ生産方式が必要なのは中央省庁に「押し付けるのではない」というやり方を納得させることのように思えます。当然、経営側たる政府に対してもですけどね。さもなくば単なる自己満足になりますので経営側にとっても覚悟がいるのが「トヨタ生産方式」だと感じています。

2005 01 07 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

2005.01.06

天文学的スケールのものすごさ

ものすごく大きな数字の世界を表すときに、「天文学的」という言葉を使います。これは一般に比喩として用いられますが、本物の天文学でものすごいスケールの発見がされました。まさに、宇宙最大規模の爆発と言えるものです。

爆発で生じたガス雲の穴の直径が65万光年というから驚くじゃないですか、お客さん。

この爆発現象は、アメリカのX線観測衛星「チャンドラ」によって発見されました。X線は、ブラックホールなどの天文現象に付随して大規模に発生することが知られており、今までもチャンドラはブラックホールに絡む色々な発見をしています。そして、今回は28億光年彼方で起きていた大規模爆発を見つけたわけです(元のページはこちら)。

さて、65万光年の直径の穴、と言ってもピンと来ない方が多いと思います。では、身近な宇宙スケールで考えて見ましょう(参考ページはこちら)。

1光年というのは、光の速さで1年かかる距離です。おおよそ10兆キロメートルに相当します・・・え?わからない?
地球と月の距離が37万キロ、地球と太陽の距離が1億5千万キロですから、地球と太陽の距離のざっと6万倍になります。で、太陽からもっとも近い恒星(太陽と同様に自分で核融合をして光っている星)まで4.3光年あります(ケンタウルス座のアルファ星ですね)。

また、私たちの太陽系が含まれる銀河系の直径は約10万光年です。そして、太陽系は銀河系の中心から約2万8千光年の距離があります。

で、今回の爆発ですがガス雲の中央の穴で65万光年ですので、銀河系が6つ半入ってしまう大きさとなります。
銀河系からアンドロメダ銀河まで200万光年ですから、もし両者の間にこの爆発が入ったら、間の空間のほぼ半分を埋め尽くしてしまいますね。

 ですので、今回の爆発は恒星規模というよりも、銀河系規模のとんでもない大きさのレベルになります。惑星レベルの話では相手になりませんので、さすがに映画のネタにはならないと思いますね(笑)。

 冬の星空は澄んでいてなかなかきれいです。時には空を眺めて宇宙にはこんなこともあると思われてはいかがでしょうか。


2005 01 06 [科学、学問] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.05

HDTVが普及するとき

私がいわゆるハイビジョンの実物を初めて見たのは今から20年ほど前です。当時は当然アナログタイプしかありませんでしたが、フルハイビジョンの大型プロジェクターでの画面は映画に近い、フィルムノイズが無いことを言えば映画以上の臨場感がありました。

それから下って幾星霜、我が家にはBSデジタルのHDTVが入っています。

そもそもはFIFAワールドカップ見たさにチューナーを買ったわけですが、それ以降普通の地上波番組を見ることが減りました。今はHD番組は映画にしても、紀行物にしても比較的気合の入ったものが多いため見ごたえがあること、ニュースでも映像が綺麗な分見ていて疲れない、という事があります。 ただ、逆に気軽さはどうしても減ってしまいます。CMなどでは逆に浮いた感じすら受けてしまいます。

 あと、今はまだ個人撮影はSD(標準画質)しかありませんが、やっとアマチュア向けのHDカメラが出てきました。ソニーとビクターです。まだまだ小型化したDVカメラと比べると3世代くらい前のサイズですが、CCDの画素数的には既にHDを撮影するには十分な能力を持っていますので小型化も時間の問題でしょう。孫撮影需要をハイビジョンで満たす、というのは容易に考えられます。

 薄型TVはほぼイコールHDTVですので、ディスプレイの方はかなり普及しつつあります。配布メディアはまだBDでもHD-DVDもとても普及しているとはいえませんが、自家上映がほとんどと思われる家庭用ビデオでは、薄型HDTVとセットでHDカメラが普及していくことも十分考えられます。

 ソニーはBD、HD-VAIO(仮称)と、HDを中心とした戦略を組んでいるそうです。ビクター(松下)は、D-VHSベースと少し古いソリューションとなっていますがこれをBDに置き換えるのは比較的容易でしょう。PC業界から見た場合は、従来のSD画質のTVではパワー的にも十分となり能力アップを要求する要素が減っている(買換え需要も減る)わけですが、HDレベルの録画、編集となると次の需要を喚起する事となります(部品や周辺機器もね)。

 半導体関連も同様でしょう。HD画像処理のチップ、メモリなど不足を感じるということは需要を喚起することとなります。PC関連では性能的に踊り場感がありますが、HD処理をストレス無くしようとするとまだ足らないのが現状でしょう。

 2006年のFIFAワールドカップ、トリノ冬季オリンピック、そして2008年北京オリンピックあたりがHDシステムの本格普及の時期となり、固定TVはHD、モバイルはSDという形での普及があるかもしれません。そしてソフト的には「孫の入学式をHDで」という謳い文句も出てくるように思えます。

2005 01 05 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.04

慈善事業へのバックボーン

昨年末に起きたスマトラ沖地震では多くの犠牲者が出てしまいました。そして、世界の色々な組織が活動を開始しています。そして、これらの組織の行動を支えているのは実行する人と寄付をする人の双方だと思います。ただ、このような人道支援なりの活動を行う人たちはどうやって生きていくのか、という問題が当然のごとく発生します。

 政府機関が行うならばこれは既に組織から給与を得ているので何の問題もありません。しかし、例えばNPOであるならば、彼らに対する報酬はどうあるべきか、まだ日本の社会ではコンセンサスが得られていないように感じます。特にバックオフィスの部分に対してです。

 レスキュー部隊であるならば、彼らの活動は目に見えて判りやすいため、凄腕のプロチームに対しコストがかかる、ということは比較的理解が得やすいと思います。ただ、後方部隊というのも当然のごとく存在するのですよね。もちろん、後方はあくまでもスタッフのため、無駄にコストをかけないようなチェックは必要でしょう。しかし、必要経費はかかるし、さらにマーケティングコストをどう考えるか、となると理解がされているとは思えません。

 超大金持ちであるならば、自分の好きなような形でNPOを運営することも出来るでしょう(スピルバーグがホロコーストの記録事業ショア財団のこと)をしたりするように)。ただ、一般人としては「選ぶ」ことしか出来ません。で、一番必要なのは「自分はこの世界がどうあって欲しいのか」という事があるかどうか、でしょう。ただ、日本社会では漠然とした形でも自分で考えるということがほとんど無く、さらに宗教などのような形で与えられてもいない、という問題があるように思えます。

 事業である以上、継続性が求められます。例えば新潟・中越地震であれば、受け入れ側でプロジェクトとして一時的なNPOを作る、ということはあるでしょうがノウハウがやはり必要でしょう。そして、「人々の力を纏め上げる」ことがすなわち政治の仕事のはずなのですが、今の政府では利害調整をやっているうちに機会を失ってしまうように思えます。自治体レベルでは規模が足りません。誤解を恐れずに言えば、民間であれば「不公平でも許される」部分があると思うのです。

 ユニセフにしても、赤十字/赤新月協会にしても、マーケティングはかなりの努力を行っていると思います(カード会社を通じてDMも来ますしね)。「私たちの組織ならば、皆さんのご意思に沿った事業ができますよ」というように。

 日本社会では、身近の地域はともかく大規模に「世界に対して(短期の)利益は求めずに尽くしていく」という思想は特に無いように感じます。まあ、いわゆる世界で、というのはキリスト教的バックボーンが強いと思いますのでアジア地域ではどうなのか、というのはなんともいえません。ただ、今世界を動かしているのはキリスト教的バックボーンを持ったヨーロッパ文化が大きいと思いますので「世界のあるべき姿」が暗黙知としてあるように思えるのです。そして、この暗黙知を共用していない日本社会がプレゼンスとして弱くなってしまうのはある程度仕方が無いように思えます。

 ただ、そうであるならばこの状況を意識した形での戦略的なプレゼンスのあり方があってしかるべきでしょうし、国民一般に対しても「判っていてやる」というスタンスの方がまだわかりやすいように思えます。偽善とのそしりは恐れるべきではないし、実行することに価値がある、そして「情けは人のためならず」ということわざもあるように、「自分のためになる」というように割り切ったほうがまだ日本社会には受け入れやすいように感じます。

 政治意識を高めないようにしてきたのが日本という国ですのでこれから転換は出来ないようにも思えますが、世界の中で生きていくしかないのが現実であるならば、災害支援にしても「先手を取る」というだけの意識はあってよいし、キリスト教的考え以外の世界のあり方を示すくらいの腹のくくり方が必要なのではないか、と感じています(カオスを適宜認めるとかね)。

 


2005 01 04 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.03

今週のニュース(12/26~1/1)

今週も気になったニュースを取り上げて行きます。

1.スマトラ沖で大規模地震、津波による被害者史上最悪に
 12月27日、スマトラ島沖のインド洋でマグニチュード9.0の大型地震が起き、このため発生した大津波によりインド洋沿岸各国で多数の被害が発生しました。状況は既に各メディアの報道でご存知と思います。
 さて、今回はこの中で、多くの北欧などの旅行者が行方不明になっている、ということを取り上げてみたいと思います。北欧などでは冬には太陽がほとんど出ないため熱帯地方でクリスマス休暇を過ごす、という事が近年増えているようです。そして、中東や北アフリカではテロの危険性があるため、最近は東南アジアのシェアが高まっていたようです。その中で今回の被害が発生し、スウェーデンでは今のところ3500人もの行方不明者が出ている、という状況だそうです。
 スウェーデンの人口は900万人、もし1000人の方がなくなられたとすると人口の0.1%強が失われたことになり、国力そのものに対するダメージも相当なレベルに達します。特にリゾート地の被害のためいわゆる富裕層に属する(ビジネスでも強い力を持っている)人たちの被害と考えると、さらに影響が大きくなる可能性があります。
 今回の津波の状況を見る限り、津波そのものは防げない(日本近海で起きたとしても、防波堤で防げるレベルではない)と思いますが、日本では少なくとも高いレベルの警報が出るのと、国民のかなりの数に津波の恐怖が教育されているため、人的被害はある程度防げたと思います。しかし、のんびりビデオを回していたりするような状況を見ると、現地、および観光客双方に警戒態勢が抜けていたように思えます。ただ、日本でも津波警報で逃げる人が少ない、というニュースも流れていたようですので更なる警戒態勢が必要かと思います。

2.自動車リサイクル法、1月1日より施行
 自動車を廃車にしてリサイクルするためのコストを負担する自動車リサイクル法が1月1日より施行されました。今後販売される新車には、販売時に負担、今まで負担していなかった既存の車はあらかじめチケットを買うか、廃車時に負担することになります。家電やパソコンリサイクルと同じような仕組みですが、自動車の場合は中古市場がかなり大きい、ということが問題を複雑にしています。お金と情報の流れを相当きっちりしないと、誰が負担するか現場でもめることになるからです。
 まあ、まだ自動車は登録と車検制度があるためこの情報とリンクさせればまだ情報管理は可能でしょう。また、自動車という大規模な物資がリサイクルとして流れていくため、今後は再利用資源と新品資源との「資源間競争」や、日本国内に既にある資源が回りだすため、輸入資源の減少が起きていくかもしれません。

3.ロシア石油パイプライン、太平洋ルート決定
 日本の隣国という場合、普通は韓国や中国、などと出るでしょうがロシアも十分近い隣国です。そして、非OPEC以外での最大の石油産出国としても知られています。そして、中国ルートか、太平洋ルートかと言われていたシベリア石油パイプラインが日本に近い形で建設されることが決まりました。ただ、時期は中国向けの枝などが細かく決まっているわけでも無いため、まだまだ交渉のカードとしては十分振り回されそうです。日本としては、複数の供給元があったほうが良いのですが、中東軽視につながっていく、というように見られるということもあるでしょうから、中々難しいところです。しかし、近くて遠い隣人、が近くの隣人として仲良く付き合っていく(ロシアの日本海岸にコンビナートが出来るとか)ことや、これによる日本海側の都市の発達(新潟は国際港であり、ロシアは目と鼻の先)があったり、文化が混ざって色々と変化していくなど、面白いことも期待できると思います。


 

2005 01 03 [ニュース] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005.01.02

目利きにかける労力と意味

 ここ数年、ネットオークションによる流通が活発化しています。東京都もヤフー!オークションを間借りして競売品の流通を加速化しようとする試みをしており、参加者は今後も拡大していくでしょう。そして、ネットに限らずオークションに対して重要なのが「目利き」になります。

 ブランド品に関しては、偽物が多数あります。また、本物であっても限られた情報の中でその品物が自分にとっての必要度はどうか、価値はいくらなのか、さらに他者にとっての価値や相場はどうか、競り落とすだけの労力はどうか、ということで、その人にとっては「価値の意味を問う」という良い訓練になると思うのです。

 同じことが報道メディアで流される記事の内容にも言えるように思えます。例えば、イチローが来年首位打者宣言をした(これは私が今作ったデマですけどね)、という報道があったとします。ただ、これに対して検証をするだけの価値があるかどうかは読者の側にとっての意味合いの大きさによるでしょう。対戦相手にとっては、本当ならばイチローの意気込みが変わった(※1)ことを意味しています。しかし、野球ファンにとっては見方が変わるだけ、野球に興味が無い人にとっては「あ、そう」で終わりです。経済、政治記事に関してはより影響度が大きくなるだけに検証をかける必要性を持つ人が多くなりますが、受け取り側にとっての重要度に差異がある、ということは変わりありません。

 また、情報に対するチェックがどうかかっているか、ということはチェーンメールの流行でも見られると思います。最近私の身近に、ラブラドール犬の子犬にかかわるチェーンメールとテレビ番組でメールを送る競争をしている、というチェーンメールが来ました。どちらも有名なものですのですぐわかりますが(グーグルで調べるといくらでも引っかかります)、これもチェーンメールという概念自体を知らないケータイのライトユーザーから見れば、善意の連鎖によって簡単に引っかかってしまうものです。さらに、もし間違えたとしても実害がない分、余計にチェックをするためのコストをかけよう、という意識レベルも下がってしまいます。

 私が心がけているのは、情報に対する「確度」をどの程度として捉えるか、ということです。例えば0~100まで見て、3割程度なのか、五分五分なのか、8割以上なのか。もちろん、自分で判断していることなので客観的な定量化までは出来ていない(過去事例のデータベース化と数値化までは行っていない)のですが、経験を積む、情報源を複数取る、ということを繰り返すことで確度の判断力が上がっていきます。最終的にはYes/Noの判定をしなくてはなりませんが、確度を設定することで間違えたときの対策レベルも同時に考えることができると思っています。

 もちろん、この検証は一発間違いのない裏が取れれば確度を100%にまで上げられるのですが、1次情報に接してという手段が取れない以上やむを得ないと思っています。みんなで考えて、ということも出来るかもしれませんが、どうして直接取材をしない、という究極の質問にぶち当たってしまうため、これもなんともいえないところですね。

 メディアリテラシーを、という意見がありますし、私も必要と考えています。ただ、単純に全部を疑ってかかっていては手間ばかりかかって仕方が無いのも事実ですから、自分にとって、同時に社会にとっての影響度を考えながら、ということになると思います。

※1 イチローは打率よりも安打数にこだわっている、とインタビューで答えています。打率ならば出ないことで率を高いまま保とうとする逃げる誘惑にかられてしまって危険だから、ということだそうです


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2005.01.01

あけましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。旧年中は本Blogに多数の方が訪れてくださり、拙文について多くの忌憚無きご意見をいただきました。まことにありがとうございました。

昨年は、Blogというものを始めた年でもあり、色々と手探りの部分が多くありました。しかし、(ほぼ)毎日更新を心がけているうちに、なんとなく今のネットのおかれた状況も見えてきたように思えます。

今年はどう、ということも今のところないのですが、また興味の赴くまま、しかし勉強になるようにがんばって行きたいと思っております。舌鋒鋭く、というだけでなく、あくまでも建設的に、を前提としていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

2005 01 01 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック