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2005.01.02

目利きにかける労力と意味

 ここ数年、ネットオークションによる流通が活発化しています。東京都もヤフー!オークションを間借りして競売品の流通を加速化しようとする試みをしており、参加者は今後も拡大していくでしょう。そして、ネットに限らずオークションに対して重要なのが「目利き」になります。

 ブランド品に関しては、偽物が多数あります。また、本物であっても限られた情報の中でその品物が自分にとっての必要度はどうか、価値はいくらなのか、さらに他者にとっての価値や相場はどうか、競り落とすだけの労力はどうか、ということで、その人にとっては「価値の意味を問う」という良い訓練になると思うのです。

 同じことが報道メディアで流される記事の内容にも言えるように思えます。例えば、イチローが来年首位打者宣言をした(これは私が今作ったデマですけどね)、という報道があったとします。ただ、これに対して検証をするだけの価値があるかどうかは読者の側にとっての意味合いの大きさによるでしょう。対戦相手にとっては、本当ならばイチローの意気込みが変わった(※1)ことを意味しています。しかし、野球ファンにとっては見方が変わるだけ、野球に興味が無い人にとっては「あ、そう」で終わりです。経済、政治記事に関してはより影響度が大きくなるだけに検証をかける必要性を持つ人が多くなりますが、受け取り側にとっての重要度に差異がある、ということは変わりありません。

 また、情報に対するチェックがどうかかっているか、ということはチェーンメールの流行でも見られると思います。最近私の身近に、ラブラドール犬の子犬にかかわるチェーンメールとテレビ番組でメールを送る競争をしている、というチェーンメールが来ました。どちらも有名なものですのですぐわかりますが(グーグルで調べるといくらでも引っかかります)、これもチェーンメールという概念自体を知らないケータイのライトユーザーから見れば、善意の連鎖によって簡単に引っかかってしまうものです。さらに、もし間違えたとしても実害がない分、余計にチェックをするためのコストをかけよう、という意識レベルも下がってしまいます。

 私が心がけているのは、情報に対する「確度」をどの程度として捉えるか、ということです。例えば0~100まで見て、3割程度なのか、五分五分なのか、8割以上なのか。もちろん、自分で判断していることなので客観的な定量化までは出来ていない(過去事例のデータベース化と数値化までは行っていない)のですが、経験を積む、情報源を複数取る、ということを繰り返すことで確度の判断力が上がっていきます。最終的にはYes/Noの判定をしなくてはなりませんが、確度を設定することで間違えたときの対策レベルも同時に考えることができると思っています。

 もちろん、この検証は一発間違いのない裏が取れれば確度を100%にまで上げられるのですが、1次情報に接してという手段が取れない以上やむを得ないと思っています。みんなで考えて、ということも出来るかもしれませんが、どうして直接取材をしない、という究極の質問にぶち当たってしまうため、これもなんともいえないところですね。

 メディアリテラシーを、という意見がありますし、私も必要と考えています。ただ、単純に全部を疑ってかかっていては手間ばかりかかって仕方が無いのも事実ですから、自分にとって、同時に社会にとっての影響度を考えながら、ということになると思います。

※1 イチローは打率よりも安打数にこだわっている、とインタビューで答えています。打率ならば出ないことで率を高いまま保とうとする逃げる誘惑にかられてしまって危険だから、ということだそうです


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今日からお仕事の皆さまはお疲れさまです。今日はまだお休みさせていただいています。まあ有給もない身であり、また土日の休みがなくなることが多いのでご容赦ください。 ... 続きを読む

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