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2005.02.05

そもそも国家とはなにか

と、いきなり大上段に構えてみたりします(笑)。日本人にとっては、普段「国家」というのはそんなに意識はしていないと思うのですよね。普段あるのは国家ではなく「お上」。国家という場合は、「外国」があって「わが国」なのですが、日本人の普段の生活で外国を意識することはほとんど無いとおもうのです。これは実は自治体でもあまり変わらない。まあ、変わらない(自治体間の格差をつけない)ようにしてきた、というのもあるのでしょう。

で、あるのは「お上」とそれにかかわる「庶民」。通常意識しているのはこれくらいではないか、と思うのですよね。で、庶民はお上にはかかわらない(かかわるとろくなことが無い)というのが生活の知恵として染み付いているため、政治的な行為自体が悪、責任を問われるようなことをしない、という事になってしまっているのではないでしょうか。そこへ、「民主主義=自己責任」を問われてもねぇ、というのが「庶民」の実感ではないか、と思います。

地方自治は民主主義の学校、という言葉があります。そして、隣町と自分の町は違う、というところを意識する所、そしてこれを「自分達の力で」なんとかしようとするところから民主主義は育っていくではないのかな、と感じています。

で、突然Jリーグの話になるのですが、Jリーグ以前、外国というのはイコールアメリカ、と言ってよい状況でしょう。テレビで外国人の話も出ないし、日本国内で名前のある外国人はプロ野球の「外人助っ人」くらいしかなく、彼らはほとんどがアメリカ人だったからです。
 ところが、サッカーの世界は違います。ヨーロッパと南米が主力であり、それぞれが多くの国を抱えています。ユーゴスラビアの内戦、というよりも、ストイコビッチの国が大変、という方がわかりやすいということでしょう。カメルーンという国も、地理の授業以外出てこないような状況から、少なくともエムボマの国、中津江村で騒ぎを起こした国、という程度には知られるようになり、それぞれ「生きた人のいる国」というようになってきたと思います。
 そして、逆もまたいえるでしょう。ソニーとホンダの国ではなく、ナカタの国、というように顔が感じられる国になっているのでは、と思っています。

 ヨーロッパが大欧州に向けて動いており、アメリカの1極化が逆に世界の分裂に向かわせる可能性がある今、日本が顔のある国に向けて他国を実感として感じられる国になることが重要になっているように思います。

2005 02 05 [経済・政治・国際] | 固定リンク

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