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2005.03.15

情報と感動とのかかわり方

アルファブロガーたるR30氏のBlogは、週に10万PVだそうです。週に1000PVがやっとのこの弱小Blogとは比べ物になりません。

さて、Blogが新しいメディアとして認知されるか、ということは色々と話題になっていました。報道メディアとしての一角を占めるようになる、という見方から、素人の書くものだからたいしたこと無い、という見方まで錯綜しています。その中で、では多数の人から参照されるようになる個人Blogの書き手はどうすればよいのでしょうか。

多くの人が参照している、ということは少なくともある程度の品質を維持し、読むだけの価値を認められていると思ってよいと思います。ただ、ベストセラー小説に見られるように、ある一定の注目を集めていくと、「みんなが読んでいるから読む」という二次的な目的による読者が増えていくのではないか、と思うのです。つまり、エントリを読むことが目的ではなく、エントリを読んでいる共同体から脱落しないことが目的となり、エントリを読むこと手段に陥ってしまうのです。

そのような立場の読者にとっては内容が自身の求めることから少しでもずれがあると目的として読んでいる一時読者と比べてより拒否的な反応を示しやすいのではないかと思います。自律的な読者ではないがゆえに無駄足感を強くしてしまう作用が生じやすいのではないでしょうか。

また、読者にとっては色々な情報を求めて例えばBlogのエントリを読むことというのは判断する材料を求めているというよりも「納得感」という感情を満足させるためのものである可能性も考慮しておく必要があるでしょう。この場合は納得感が得られればよいのですからひどい場合にはとんでもない説に対して共感してしまう可能性を否定できません。

個人Blogは個人の責任により自身の思うところを記していくものであるという大前提があるはずなのですが信頼度や納得感を求めて読むような読者に対してどう手当てしていくか、Blogの存在が認知されてきつつある中、一つの壁に当たったのかな、とも思っています。


2005 03 15 [パソコン・インターネット] | 固定リンク

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