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2005.11.05
大風呂敷のたたみ方
世の中に色々なマンガや小説や映画があります。最初は鳴り物入りで始まり、人々の目をひきつけますが、話が進むに連れて段々方向が変になり、しまいには愛想をつかされてあれどうなったんだっけ、という事になってしまうことがよくあります。期待度が大きいほどこの落胆も大きくなってしまう、というのが世の常ですね。広げるだけ広げてしまった大風呂敷が全然たためずに取り繕ってしまっただけ、という事があり、それだけ仕上げは難しい、とも言えるでしょう。そしてこれはビジネスの世界でも全く同じことが言えると思います。
ビジネスにおいても、最初は「お話」から当然始まるわけですね。実物があるわけでは無い。あるのは「企画書」(ビジネスプラン)というお話だけ。しかもこれは、連続物のドラマで言えば「第一話」に過ぎないわけです。そして、この「お話」が面白い話であれば、演者が集まり、実現化しようとする人々(と資金)が集まって具体化していくわけです。そして、この間でも続いていく中でいかに「風呂敷をたたんでいくか」という腕が問われるわけですね。この畳んで広げて、という手腕そのものが「経営」である、と言っても良いでしょう。
現実の「経営」は全部自分でコントロールできる物語作りとは違う、と言われる方もあるでしょうが、物語を考えて、それを現実に移し変えていくステップは同じようなものだと思います。ここでコントロールを間違えると駄作になってしまう。連続物であると余計にステップが似てきます。
現実も物語を紡いでいく事に近いものがあると思っています。そして、他人の心に訴えかけて動かしていく、という事は同じですので、経営者や政治家はある意味優れた作家である必要があるのではないでしょうか。小泉首相の手法を劇場型、と言って批判する人もいるようですが、劇場を作ることすら出来ない人は政治家向きではない、と思っています。理想を思い描いていく力があってこそ、リーダーシップに繋がっていくのでしょう。
現実には「エンディング」は無いのですが、プロジェクトにはあります。逆に、エンディングを設定できないプロジェクトは失格です。政治をプロジェクトの積み重ねと見た場合、個々のプロジェクトの始末をつけて感動的なエンディングにつなげられるか、それとも崩壊するか。「続編へ続く」になるのかもしれません。どちらにしても、「来年の9月」と締め切りを切った手法はエンディングを明確にする、という一つの演出手法とも取れます。大団円をきちんと迎えられるか、しっかり見つめ、かつ自分達も参加者の一人でありますので大団円の中でハッピーな状態になれるよう自分自身も努力していく必要があるのではないか、と思っています。
2005 11 05 [経済・政治・国際] | 固定リンク
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