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2005.11.05

ニュースは自動編集できるかもしれないが

ネットは新聞を殺すのか」というBlogでグーグルが「グーグルグリッド」という新しいサービスを始め、ニュース戦争を始める、というEPIC2014というショートムービーが紹介されています。既に昨年のことであり、色々なBlogで半年以上も前に話題になっていますが、改めて見てみると逆にかなり違和感を感じました。というのも、今のニュースシステムは「記者という特別な人間が特定の場所にだけいる」事が前提となっている為、日常においてはたとえば麻生太郎氏が渋谷のマンガ専門店に警備の人間と一緒に現れても(目立ちはするが)特段ニュースにはなりません。しかし、どこにでも見ている人がいるのが前提ならばニュースの対象となる人々の行動も変わると思うのです。

同様に、ニュース(事実を取捨選択して伝える)だけならば、かなりのロボット化が可能でしょう。画像もネットワークカメラがあちこちあって、画像解析ソフトや音声解析ソフトがあれば動向や表情、語った事などを伝えるのは技術的に十分可能です。

ただ、これらのシステムは「突っ込んだ」取材には使えません。伝えるメディアとしては十分でしょうが、伝えようとする情熱を持っているわけでは無いと思うからです。

これらを考えたのは、このままグーグルが拡大したとしても、「グーグルノベル」とか、「グーグル映画」(動画ではない)と言った、「グーグルアート」は、サーバーとしてはありだけど自動編集して出てくる要素は無いだろう、と思うからです。

グーグルという企業は、徹底してサイバー空間の黒子を演じていると思います。自分達の理想ではなく、いかにしてユーザーに対する電子秘書を作るか、という事に徹していると言ってもいいでしょう。そして運用収益を上げるために多数の人間へのリーチと広告とのミックスを作っている、というように感じています。広告が文字だけ(一部画像もありますが)、というのもデザインを意図的に放棄しているということで自身の意思は無いことを表そうとしているように見えるのです。(エージェント機能の提供しかしません、ということで)

ただ、グーグルで出てくる情報はあくまでも「既にどこかで作られたもの」でしかない為、アカシックレコードの代わりにはなりえません。新しい「もの」は自分たちで作っていくしかないのです。ここを間違えると、諦めしか出てこないことになります。

グーグルがエージェントでしか無い以上、最終的な意思の動機付けは自分でやるしかありません。アートの部分は人間が人間に対して行うからこそ意味がある(自動生成されたものにどこまで人が感動できるか)という部分がありますので、ニュースメーカーとしての記者や写真家は意味があるでしょう。しかし、伝える媒体としては意味がなくなってしまう、という事は事実としてあると思います。

シェフに指名買いされる新潟しかない西洋ナシ肥沃な信濃川で有機肥料育ち、モーツアルトを聞い...オーストラリアマンゴー3玉入り!

2005 11 05 [経済・政治・国際] | 固定リンク

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