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2006.01.10

監視国家をどこまで是とするか

仙台で発生した新生児誘拐事件ですが、赤ちゃんは無事保護され、容疑者の逮捕と一応の解決を見ました。そして、今回の捜査にあたって「逆探知」と「Nシステム」が有効に活用された、と新聞報道がありました。

私が購読している読売新聞の1月9日朝刊13版S3面には、「電話が切れるまで2分11秒の電話で逆探知に成功」、「不審な白いワゴン車を捜査員が確認後、ナンバーをNシステムに登録し、追跡に役立った」、との記述があります。ただ、不思議なのはこれらの記事がネットではどこにも見つからないのですよね。まるで報道協定でもあったかのようにw

以前にも書きましたが、顔の自動認識をするシステムはかなりのレベルで実用化されています。日韓ワールドカップの際、関空の税関に導入された、との記事もあります。

さて、一般の無名の市民の立場から見た場合、これらの監視システムはデメリットよりもメリットの方が大きいように感じるのではないでしょうか。テロや犯罪が起きたときに被害を受けるのはこれらの市民です。たとえば、9.11の同時多発テロでも大きな意味での目的は「アメリカを攻撃」でしょうが、個人レベルではたとえば「国際貿易センタービルにいた人たち」が殺されたわけで、「自分が殺される可能性」を減らすためには別に警察が自分のナンバープレートを記録していようが、メリットの方が大きくなってきます。歌舞伎町などでの監視カメラの増加もこういった意識の反映と感じます。「安全」のために権利の一部を売っているわけですね。

さらに、先のテロを受けて、監視システムとITが融合しさらに強化されています。服を全部透かせてしまうカメラがヒースロー空港に導入されたとも言われています。これも、「善良な無名市民」にはテロにより死んでしまうリスクを避けると考えれば容認されるのでしょう。私もどちらかというと犯罪リスクを考えた場合、監視を是と思っています。

で、問題になるのは政治的な動きをする人たちですね。このシステムが「無関心」であるのならば別に問題ないのですが、政敵の動きを監視させるなど「意図的」に動くときがもっとも危険といえるでしょう。

 犯罪者への抑止力として機能し、安全を守る為のシステムとしてならば監視社会もやむを得ないと思います。ただ、人間が行う以上どこまでその「善意」を信じられるか。運用側がダークサイドに転ばないような「システム」はありえるのか。「踊る大走査線 The Movie2」でも出てきた監視システム、青山刑事は犯罪捜査以外には使わないでしょうが、他の人はどうか。政治のレベルは民意の反映といいますので、自分達のレベルを上げていくことが最終的に自分を守ることになるのでしょう、としか自分には言えません。

尻切れトンボですが、まずは事実の記録として。

2006 01 10 [経済・政治・国際] | 固定リンク

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