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2007.04.22

ニセ科学の根底にあるもの

「水からの伝言」が話題になっています。(ウィキペディアでの解説はこちら)単なるファンタジーならば良いのですが、教育に使われるなど弊害も目立っているようで、反対運動も行われています。

水に「きれいな」言葉をかけると「きれいな氷の結晶」が出来る、というのはやはり科学的に考えればありえません。ましてや、言葉を書いた紙をまきつける、などの方法を考えるとなおさらです。しかしながら、「受けている」、さらには社会にこういうものを受け入れるような素地がある、ということは事実でありますので、これはなぜなのだろう、とも思えます。


普段の人の生活において、「願望」というのは重要な意味を持ちます。人の行動において物事を実現させる原動力、と言っても良いかもしれません。ビジネスにおける実行力というのも、「願望を実現する」という部分が大きな意味を持ちますからね。そして、現実の世界に繁栄させるために、たとえば物理現象を知るための方法が「科学」であるわけです。

しかしながら、「科学で得られた知見」というのはしばしば残酷な面を示します。いうなれば、「世界はあなたの願うようには出来ていない」ことをはっきりさせるのが科学、と言っても良いかもしれません。もちろん、これはある知見に対する受け手の問題であり、知見そのものは中立なのですけどね。

とはいえ、現代の社会においてスポンサー(民主主義においては政府、その後ろにいる有権者)が求めていることは、社会をよりよくしていきたい、という願望をかなえていくことにあるわけです。そして、このスポンサーは科学者が見つけてくる「事実」にまっすぐ向き合えるだけの覚悟と自覚を持っているか、というとはなはだ疑問なわけです。

今問題になっている医療崩壊、特に医療過誤の訴訟においても、根底にあるのは患者側の期待と現実に起きることとのギャップでしょう。犯罪被害に対してもそうです。訴えてくる側が求めているのは「なぜそうなったのか」ということですが、これは科学的事実を求めているわけではなく、亡くなってしまったことの合理的理由、誰がどうやっても助けようが無い、ということを納得していくためのプロセスを求めているのでしょう。

今まではこれらはある意味「宗教」が答えを出してきた部分ではあります。「寿命だから」「運命だから」という言葉には合理的根拠はありません。しかし、納得していくための方便としてはきわめて有効ですし、それがゆえに社会に溶け込んできていると言えると想います。「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉の意味もこういうことなのかな、と勝手に解釈もしています。

水伝のやり方は間違っているし、科学的方法を装っているだけにたちが悪いともいえますが、科学の側も、相手が事実にきちんと向き合うことに慣れていない人を相手にしている、ということは認識しておいたほうが良いように想っています。

2007 04 22 [科学、学問] | 固定リンク

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どうもぼくがここでニセ科学を切り口にしながらぐるぐると寄り道がちに牛歩の思考を重ねていることに関連するようなことを、skywolfさんがニセ科学の根底にあるものと云うエントリで明解にお書きになっている。 しかしながら、「科学で得られた知見」というのはしばしば残酷な面を示します。いうなれば、「世界はあなたの願うようには出来ていない」ことをはっきりさせるのが科学、と言っても良いかもしれません。もちろん、これはある知見に対する受け手の問題であり、知見そのものは中立なのですけどね。 とはいえ、現代の... 続きを読む

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コメント

批判をする側も、ニセ科学が「科学的という無意味な記号」に好意的なだけで、「まともな科学的な考え」を嫌っている人を相手にしている、ということは認識しておいたほうが良いように想っています。

投稿者: 比ヤング (Apr 27, 2007 10:05:03 AM)

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