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2009.10.31

Twitterはじめました

今はやりのTwitterのアカウントをとりました。ただ、まだなんとなく利用のイメージがつかめません。私が古いタイプ(ネットは断続的に使うもの)という人間なのかもしれません。

また、コミュニケーションツールとしては面白いですね。ボードチャットとも違い、特定のBBSにつなぐようなものでもなし、特定の発言者だけ見られる、という要素です。メールチャットほど大げさでもないし。

まさに「軽い」コミュニケーションツールとしてのものですが、あとはネットとリアルとの断絶をどう解決していくか、ということも重要なのでしょう(電脳コイルの世界のようで、全員がメガネをかけていればシームレスにつながるのかもしれないけど)。


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2009.10.28

供給過剰時代で市場はどうなる

赤松大臣が卸売市場機能の低下に関して、イオン等のスーパーを批判した、という記事がでています。ただ、市場でのセリで価格が決まるということに関しては、漁業者からも「値段が自分で付けられない」ということで不満もあるようです。


また、今のセリ機能に関しては、小規模の生産者を一度集めて買い手に選択肢を与える、というものですが、価格が市場先行であり売り手が先に値付けをするわけではないため、買い手が減るほど買い手有利になることになります。

これらは、生産者が小規模でかつ供給が限られる状況では生産者と消費者のバランス的に取れていたのかもしれませんが、買い手のパワーが増し、かつ供給力が需要を上回る状況では買い手の方にバランスが傾いていると見てよいと思います。

この中で供給者側にバランスを戻そうとするならば、供給者としては商品力を上げる、タイミングを測って供給過剰を防ぐ、大規模化して供給力を制御できるようにする、などしかないわけです。どちらにしても、作っているだけではだめということは変わらないのですね。

卸売市場というマッチングの場は、小規模事業者でも参加できるという面では存在意義があると思いますが、市場自信もロングテールに対応できる、情報発信速度を上げて個性の広がりをうまく需要家側へ届けられるようにしないと、供給者、需要家双方にとって使えないものになってしまうと思っています。

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2009.10.27

新しい広島名物になるか?

私の実家は広島にあり、先日所要で戻っていました。で、空港でお土産を物色していて気付いたもの。

「生もみじ」って何?

広島では有名な菓子店のにしき堂が新開発したお菓子のようです。

地元ではそうでもないですが、お土産としてはすっかりメジャーになった「もみじまんじゅう」。特にどこのお店、というわけではなく色々なお店で作られています(私は前述のにしき堂もそうですが、藤井屋ややまだ屋が好きです)。

ただ、何度も買ってくるとまたかと思われるのも嫌なので、何か新ネタはないか、と思い見ていました。で、先の「生もみじ」を見つけたのです。

食べてみると、もみじまんじゅう風のあんことお餅のような感触の皮が不思議な感じです。


1個110円とやや高めですが、結構ヒットするかも。従来のもみじまんじゅう同様に10日程度の日持ちもするようですしね。



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2009.10.23

日本政府はジャパン.coとなるのか

民主党政権となり、色々な政府事業の洗い直しが行われております。その中には、過去のしがらみにとらわれてどうみても合理性のない事業形態などについて、容赦なく見直しがされているようです。そのあたりの考え方は、一般のビジネスマンから見れば比較的分かりやすいものと言えるでしょう。これは、民主党政権にサラリーマン出身者が多いことからもうなづけると思います。

しかるに、自民党政権は二世が多いこと、地域(または業界)の利益代表が多いことから、自営業者の集まりという要素が大きいのかもしれません。そういう意味では、経営者の気持ちがわかるのは比較的自民党の方が多いように思えます。

ただ、船頭多くして、の諺にもあるようにその中でトータルのかじ取りを一人に任せるというのは容易ではありません。となれば、人の言うことを聞くことに慣れているサラリーマンが多い方が、今は政権運営がやりやすいのかもしれません。

とはいえ、国家の目的は最大利潤にあるわけではないことから、目的設計を誤ると暴走する可能性が大きいこともあり、よりリスキーな形態ともいえます。この辺について、声の上げ方、取り入れ方ということについて、民主党政権の在り方に注意が必要といえるでしょう。

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2009.10.21

拒否権と市場維持

花王が発売していた食用油「エコナ」、脂肪がつきにくいということでトクホを取得し、健康イメージで売っていました。これが、発がん性を疑われる物質に変わるかもしれない油を含んでいる、ということでイメージが傷つき、また消費者庁での論議の状況を受けてトクホの自主的取り下げということが起きました。

さて、食品に関しては、はっきり言えば絶対無欠の安全性をもつものは存在しないといってよいでしょう。極論ですが、どんなものでも食べすぎればそれだけで健康に対して悪影響を及ぼします。狂牛病のリスクよりも餅による死者の方がずっと多いのも事実でしょう。なのに、消費者の反応はこういった「調べればわかるリスク」に比して動きません。これはなぜか。

消費者の無知に原因がある、と言えばその通りなのですが、それだけではないでしょう。単純な感情論?それも違うと思います。これは「拒否権を行使できるか」ということで行動が違ってくるのではないでしょうか。

リスクがあっても、それに対してすぐに認識があり、拒否できる方法が担保されているようなものに関してはリスクは許容されるように思えます。発がん性といってでは酒・たばこがなぜ騒がれないのか。これは分かっていて使う、という要素が大きいからでしょう。また、見ればすぐわかるのでいつでも逃避できるからということもあるようです。

しかるに、入っていない(と思っている)ものに対して、また見分けがつかないものに対しては拒否反応が強いように思えます。これが「安心」を否定されると感じて拒否反応につながるのではないでしょうか。

常識というあいまいなもので判断されては困りますし、なにより科学的ではありません。ただ、既知であり分別が簡単なリスクと、健康被害が発生するリスクは同程度でも分かりにくく拒否しにくいリスクとでは、反応が違ってくると思うのです。

となると、リスクコミュニケーションとしては単純にリスク比較をするだけでなく、その対象の拒否しやすさ(判別の容易さや混入度合い)などを勘案しないと「安心」ということにつながらないことになり、すれ違いを起こしてしまう要因となると思えます。

食糧を確保する面からいえば、ある程度のリスクは社会的に許容されなければならないのですが、この事を維持していくためには、単にリスクの大きさを評価して同等だから同じ扱いで良い、ということにはならないということを認識して判断をしていく必要があると思います。

2009 10 21 [科学、学問] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2009.10.20

子供は誰が育てるのか

待機児童解消のためバウチャー制度を入れたらどうか、という提案がなされています。教育に関しては、コストをバウチャーという形で福祉予算からもつ、ということですね。これは供給側の競争を促すこと、転用がむずかしいことから効率が良いことが期待されます。都市部など、市場規模が大きく新規参入の意味があるところでは有用でしょう。


ただ、「保育」という考え方に立つと、何が適しているのか、ということも考えないといけません。

考え方として、たとえば戦時のような労働力確保と見れば、子供の意思というよりは、大人の手数の方が重視されますので「子育てに掛ける手を他に回す」事が重要視されます。これは、今の社会でも家計の収入を増やすために子守のアウトソースをしている、そして収支バランスをよくすることを目的とした経済的な要素ですね。

もうひとつは、将来への社会投資として子供へ最高の教育を与えていく、という発想です。子供の能力アップ(とまでいかなくても、子供たちの心身を健康に保つことは社会維持として重要)として社会全体の安定を求めていくという考え方です。

今問題になっているのは、どちらかというと前者ですね。食えなければ仕方がない、ということです。いくら保育所を増やしても待機児童が減らないのは、増えた分だけ需要が出てくるという潜在需要が大きいためでしょう。

どちらにしても、子供たちの目線でこの問題が語られていないのが気になります。先立つものがないと仕方がないというのはわかりますが、お金の使い方は手段なので、そもそもの目的がずれてしまっているように思えてなりません。目的の位置を明確にして、そのうえで適切な使い方を考えていくことが大切であると思っています。

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2009.10.18

電気自動車はカンタンにできる?

原油価格の上昇、CO2削減が課題となった今、ガソリン・電気ハイブリッドから電気自動車へと動きが進んでいます。そして、電気自動車になることで動力関係の開発が簡単になり、PCのような水平分業が進む、などという意見が見られます。しかし、これは本当でしょうか。私はPCとは違い、動力が電気になったといってもそう簡単にはベンチャーが出てくるのは難しいと考えています。それは、安全性の問題があるからです。


自動車の重要機能を表わすには「走る」、「曲がる」、「止まる」の3つの要素がよく言われます。今言われているEVでモーター駆動になるとエンジン関係の部品が置き換わった場合、確かにその部分は減るでしょう。しかし、曲がる、止まるの部分は何も変わらないのです(そりゃ、部品の置き方が変わることによる重心位置やレイアウトの自由度の変化はあるでしょうが)。そして、衝突安全性にかかわる部分もそう大きくは変わらないこと予想されます。

車の開発では、駆動系もそうですが、サスペンションのセッティング、ブレーキなどの詰め、安全性試験などに大きなコストをかけています。その中で、量産車として保険を受けられる車種をきちんと開発できるのはやはり大手メーカーになってしまうと思うのです。

ただ、ひとつ可能性があるのは2人乗り程度の安価なシティコミュータが出てくることです。現在軽自動車が地方などではその役割を果たしていますが、サブ軽というのは40万程度で買えるレベルで出せれば市場性があるように思えます。ここでは、航続距離は40km程度でいいし、最高速も80km/h程度で良いようなものです。ネットブックなようなイメージですね。

地方では、大人1人で車1台、という重要が結構あります。一家の車で1台ミニバン、あと3台軽がある、というのは良く見られます。ここでの2台はもし安価であるならばサブ軽でも良いような車ですね(バイクがあるのでは、というのは雨の日に使えないので却下なのです)。

そして、サブ軽は車がない新興国でも売れる可能性があります。安価であることが何よりの武器になるわけですね。


現在の完成車メーカーも、自社開発の「モノ」はエンジンとボディだけでその他の部品はサプライヤーからの調達がほとんどです。ただ、これを組み立てるだけでできるわけではなく、そこに「セッティング」という設計要素が大きいのが自動車の特徴です。視界をどう確保するか、ブレーキやアクセルのタッチはどうか。サスペンションの動きなど、部品を使いこなすことが求められます。そして、衝突安全性をまとめていかなければなりません。

ですので、先進国ではEVになったからと言ってそうそう風景は変わらないように思えます。ただ、新興国ではガソリン車とEVとの競争が起きるかもしれません。そこでは、今のメーカーと安価に作る新興メーカーとの激しいシェア争いが起きていくのでしょう。

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2009.10.13

首都圏の空港はなにがいいのか

本日、前原大臣が羽田空港のハブとしての重点開発を行う、との方針を示しました。具体的にはまだ分かりませんが、羽田は国内、成田は国際という機能での分割をやめる、ということでしょう。これ自体は合理的で良いと思っています。

ただ、現地に残ったしこりを解決する、という面ではこれから難問があるように思えます。


成田空港は、そもそも始まりから不幸の連続でした。地元での反対運動、ここに過激派が入り込んでより問題が複雑化してしまい、やっと無理やりながら滑走路が2本できる状況になったばかりです。そこへ無理やり国際線のメイン空港として位置づけたため、利用者の立場からすればひずみが大きくなってしまっています。

ただ、地元民からすれば空港というのは一種の迷惑施設です。自分の生活に対して直接のメリットはあまりない(間接的には経済的なメリットはとても大きいのですが)状況で、それを認めるにはいろいろな「感情的な面」を整理する必要が出てきます。特に、自分たちが一所懸命開墾した土地を取り上げるには、金だけではない部分も必要なのでしょう。

さて、ここで羽田をハブ化するとして考えた場合、再構成をどうするのか、というのが次の問題として考えられます。単純なこと(今の利用者から見たメリットを最優先)の場合は、羽田は国内の幹線+アジア各国の国際線+少々のアメリカ、ヨーロッパの直行便ということが考えられます。そして成田はアジアのその他、国際長距離いろいろ(貨物が多い)、国内の地方路線などが考えられます。羽田がメイン、成田はその他、ということですね。

この場合、成田へのアクセスが悪い中でどうするか、ということになります。ひとつは地方空港からの国内線+国際線のハブ化ですね。今は羽田へ行って成田へ移動ということですから不便なのが乗り継ぎがかえって便利になることがあり得ます。ただ、これがどこまでの需要があるのか。路線を維持できるだけの内容なのかが難しいところです(今の仁川便くらい集まればよいのですが)。

羽田もしかり。上記のような考え方では、ユーザーは首都圏メインです。アジア方面のビジネス客はそれなりに取れるでしょうが、単純な国際路線もどこまで取れるか。羽田枠と成田枠をどう振り分けるか、結構難しい判断を迫られるように思えます。

あとは感情の問題ですね。東北新幹線の東京乗り入れにすごくこだわりが見られたように(直通がないならば、上野で良いようにも思えますが)、上記方針を立てた場合はどうしても成田が二流と見られてしまう可能性が出てしまいます。こういった感情面を超えた運用を示せるか。民主党政権の運営に注目していきたいと思います。


(千葉県東部に住む個人としては、国内線を使うのに遠い羽田まで行かなくても済む方が助かるのですけどね)。

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2009.10.12

次の政権交代時にあること

民主党政権発足からまだ1カ月経っていないのですが、今回のことで政権交代がおこることが前提で政治をみることになります。やっと世界の普通の国になったわけですが、日本人としてはこれをどう見るべきなのか。今のうちに考えておいたほうが良いように思えます。

まずは、今回行われていることは、今までの自民党政権であったことの徹底的な破壊と思われます。以前の細川連立政権でも、寄せ集めの集団で準備期間もなかった分、ここまでは徹底していませんでした。国会でも、第一党は自民党でしたしね(なので、自社さ連立という組み替えが可能になったわけですが)。

で、今回の民主党政権、衆議院で308議席という絶対安定多数を握っています。以前の自民党にほぼ匹敵するわけですね。さらには、それなりにマニフェストを練る時間もあったため(内容の練り上げはともかく)、政策実行も党として一応の筋が通っています。その意味では破壊力は十分にあるわけですね。

そうなった後を考えると、民主党が国民の支持を失い、他の党(たとえば自民党)に政権が移った場合でも、ある種後戻りはできなくなっていることが考えられます。こうなった場合、政策決定システム自体が変わってしまっている中での政権選択選挙を考慮しなければなりません。政党側もより吟味したマニフェストを提示することとなり、有権者もそれが現実のものとなる前提で投票をすることになります。

となると、組み合わせで提示されたマニフェストのうち、どの部分を重視するか、またはどこが許せないか、ということを考えざるをえません。より難しい判断を求められる結果になるでしょう。となると、メディアも単なる力関係だの、政争だのをいうよりも、出てきた政策の裏まで考えてきちんと報道することが求められると思っています。

その意味では、投票が現実の政策として帰ってくるという民主主義ならではの有権者の責任にまでかえってくるという、より厳しい世界が現れた、ということでしょう。

2009 10 12 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2009.10.11

政策論争はいつ始まるの?

民主党の政権奪取から1カ月が過ぎ、今までと違う形での動きとなっています。自民党の場合、良くも悪くも安定した一つの組織内での暗黙の了解のもとで動いていた政策決定などが通じず、「マニフェストにかかげた」から行うというプログラム的な政策行動が民主党の場合行われているようです。

民主党の場合、「専門家集団」といわれることも多いようで、その分論理的整合性は今までよりもはっきりしている分「政治案件」などと言われるような客観的には不合理でも声が大きい、権力バランスがこうだから、というような形での決定が多くなっていたと思われます。そして、これがこの利権に預かれない多数の国民の反発となり、今回の政権交代の遠因となってきたでしょう。

ただ、福祉なり、地方振興という場合は経済合理性ではない人の感情という部分を考慮する必要があり、この部分を決めていくのが「政治」という考え方もできます(経済合理性を極限まで推し進めると、人間の生物としての限界にぶつかり、どんどん不要となってしまうのです。究極的には、自然人が限りなくゼロに近づいた法人が発生するでしょう)。

しかし、政治を「人間」の幸福を追求するものとすると構成員たる自然人の要素が強くなります。ここの折り合いをいかに付けるか、この理屈をつけていく道筋を作ってほしいのです。

今までは家父長制的な要素で「年長者だから」、「まとめ役だから」という形で議員が決まり、この構成員で自民党が作られてきた要素が大きかったわけですが、今回は民主党のような比較的合理性を重視する集団に変わりました。どちらに振れすぎても壊れてしまうため、単にスキャンダル攻撃をするのではなく、政策決定をする、そして次回選挙に対するプレゼンテーション競争として、今後の国会での政策論争を期待したいと思っています。

(ネガティブキャンペーンがプレゼンとして効かないのは前回の選挙や、小泉政権時のメール論争で分かっているはずなのですが・・・)

2009 10 11 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック